2013年2月19日火曜日

収穫のダンス (2009/09/12)


我が家の正面に見える古民家。気になっていたので、行ってみた。           



オクラの花と実。おいしいですよ。                         




シラサギが緑に映えます。                            



ジャワ留学から一時帰国中の大石麻未ちゃん。                   
飲んべえの言い訳。                               


これがその家。                                 


窓から我が家が、                                


よく見える。                                    



こっちからは、こう見えるのか・・・。                      
見上げれば、                                                   
                                       
リスがすみかにしている樹齢300年の樹と月。                   

Kさんからなんきんをゲット。                           


見下ろせば、                                   


コスモスが踊っている。                              



さあ、帰ろう。                                  

隣のデブリンちゃん。                               


保育所へ、ブナを迎えにいくと、ウロコ雲だった。                  



                              













                    

ツバメのダンス (2009/08/31)



何がいるかな?




蓮と稲がせめぎあっている。                            




風が吹いてきた                                  






もうひとつの水都大阪 (2009/08/31)

今日は8月最後の日。拍子抜けした夏が行き過ぎて、天は高くなり、もはや涼しい風が稲穂をカサカサならしています。 8月20日 毎月第1第3木曜日は、奈良のたんぽぽの家でWS。この日は、中川真さんが「中川真式ワークショップ」をしたいと言うので、僕は参加者になった。上田假奈代さんが書いた「水と女たちと5色の糸よ」を朗読し、それを聞いて感じたままに演奏してみる、というのをまずやった。 たんぽぽWSに参加している小松泰子さんが朗読し、森下静香さんがボナン(ガムランの楽器)に入った。 さいしょは 風を連れてくる あの雲のむこうの山の連なる 幾千の谷と 幾千の川を越えて 生まれてくる風を そして 一千行の滑走路を越えて さんざめく色とりどりの旗をゆらし ことばをたずさえて 女たちがやってくる (中略) 目をとじていなさい おだやかにいなさい 呼吸の音をきいていなさい いのちのじかんを いのちのことばを 風がはこんできます これでおしまい。 小松さんの声が心地よく響いていく。それに合わせて森下さんのボナンがつぶやくように応答する。ただ鳴らしているんだけど、一音一音に表情がある。 朗読する人を代えながら、何周かやってみた。たんぽぽWSに参加してるメンバーは、何の気負いもなく、即興演奏をした。真さんがすこし驚いていた。僕は、なんだかうれしくなった。たんぽぽの家でワークショップをはじめて3年。毎回、寝返りをしたり、ペットボトルで波を作ったり、外に出て木になってみたり、坂を転がってみたり、へんてこなことばかりしていた。が、それがじんわりとみんなの中に染み込んでいるんだなあ、と感じてじんわりとうれしくなった。 8月21日 神戸のサンチカでインドネシアの観光促進イベント。イウィンさんが踊ることに、僕はマネージャー。もう一人のバリ人舞踊家と一日中サンチカ。このイベントは23日まで続く。 8月22日 朝からサンチカヘ。午後からは、こりあんコミュニティ研究会が主催するイベントへ。  <主催者のメッセージ> 桜ノ宮の「龍王宮(りゅうおうきゅう)」をご存知ですか? JR環状線桜ノ宮駅の大阪寄りホームの下、大川(旧淀川)の河川敷(毛馬桜の宮公園内)にあります。大阪に暮らす済州島(チェヂュド)出身者の女性たちの祈りの場として長く営まれてきました。そこが「不法占拠」を理由に近々立ち退きになります。  大阪市在住の作家の元秀一(ウォンスイル)さんは小説『猪飼野物語』(草風館)の中で「龍王宮」を登場させ、大阪市出身の梁石日(ヤンソギル)さんは『魂の流れゆく果て』(光文社文庫)の中で、若い頃、オモニのお供で龍王宮へ行ったことを書かれています。  大阪府と大阪市は夏から秋にかけて「水都大阪2009」という一連の企画をしています。しかし、そこには、故郷の済州島につながる水辺で大阪の文化をともに育んできた「龍王宮」のことはまったく抜け落ちています(ちなみに、今年6月に「大阪なるほど再発見!なにわなんでも大阪検定」が始まりました。橋爪紳也編『大阪の教科書?大阪検定公式テキスト?』を見ても、大阪をつくるのに大いに貢献した古代の朝鮮からの渡来人や近現代の朝鮮人についての言及はほとんどありません)。  そこで私たちは2010年の「韓国併合」100周年を前に、【龍王宮プロジェクト?もうひとつの「水都大阪2009」】として、「龍王宮」のことを知って、みんなに伝えていきたいと思います。今後、調査・研究・記録などの活動も予定しています。 この中の【龍王宮祝祭?もうひとつの「水都大阪2009」】に出演した。 僕自身、異国の王宮の舞踊をやっている。龍王宮は、訳あって異国にすむ済州島の人が河原に作ったカミサマと交信する場。そこでどんな舞が続けられてきたのか・・・。 そんな空気を少しでも感じられないかと思いながら、木に登ったり、水しぶきを空高くまき上げたり、地面に転げ回ったりしながら踊った。最後は、観客も巻き込んでの大団円になった。 出演者:中川真、西真奈美、川上春香、M(以上ジャワガムラン)、小林江美(バリガムラン)、岩澤孝子(タイ舞踊)、小林加奈(タマ トーキングドラム)、伊藤悟(中国少数民族の笛)、ティティポル(タイの弦楽器)、マイケル・サカモト(舞踏)、張+朴実(韓国打楽器) 打ち上げは、天満のホルモン系焼き肉の「岩崎塾」。店に入ると机にカンテキがのっかっていて、煙がモウモウ立ちこめている。朝鮮半島出身の人、大阪で生まれた半島の血を引く人なんだけど半島の言葉をうまくしゃべれない人、しゃべれる人、奥さんが日本人のタイの人、ロサンゼルスで生まれた日本の血を引く人で日本語がしゃべれないんだけどなぜか舞踏をしている人、日本で生まれた日本人なのになぜかジャワやバリやタイや中国やセネガルの音楽やダンスをしている人、みんながモウモウとたちこめる煙の中で飲んで食べて歌って踊った。 このイベントは、もうひとつの「水都大阪2009」。僕は、いわゆる「水都大阪2009」にも、出演することになっている。 大川を、龍王宮からもう少し下っていくと川が二股に分かれる。そこが中之島。もう始まっていて連日たくさんのWSが行われている。9月4、5日の二日間に渡って、ガムランとワヤン(影絵芝居)のワークショップをする。案内人は、中川真、ロフィット・イブラヒム、佐久間新。 詳しくは下記のサイトで。 http://www.suito-osaka2009.jp/ 水辺の文化座ウェブサイト上の予約フォーム。 http://www.bunkaza.suito-osaka2009.jp/artist/form104.html

映像 Gempa 宮本博史個展 (2009/08/09)

映像 Gempaほか 宮本博史個展 まずは、8月1日に神戸のClubQ2でのイベントの様子が、YOMIURI ONLINEで見られます。 http://osaka.yomiuri.co.jp/movie/topics/mv90807c.htm 僕の登場は一瞬ですが、なかなかコンパクトにまとめられていて、Gempaの様子も分かります。 ここから日記です。 今日8月9日は日曜日なので、本町のインドネシアレストランCITA-CITAで、インドネシア語のレッスン。夏休みで、インドネシアへ行っている人がいたりで、早くレッスンが終わった。ちょうど、連絡をもらっていた宮本博史さんの個展期間中だったので、見に行った。自宅を公開しての個展。マンションの一室である宮本家に入ると、宮本さんとお父さんがテレビを見てくつろいでいた。なんだか変な感じだが、すぐ打ち解けた。家族の様々な記録が並べられている。 特攻隊で命拾いしたおじいさんの義眼があり、触ってみるとつるんとしていた。お父さんによると、毎食後目から出して、茶碗に注いだお茶で洗っていたそうだ。1958年に書かれたお父さんの日記は、細かな字で最後のページまで書かれていた。戦死した腹違いの弟さんのアルバムには、不思議な字体のキャプションがついていた。お母さんがお父さんへ宛てたラブレターは、かわいい便せんに書かれ、とても素敵だった。そして様々な年代の映像が流れている。 気がつけば、お母さんもやってきていた。僕の背後の食卓では、映像の中に映っている人たちが、年を重ねた姿をして団らんしていた。 人間が生きていく営みのはかなさやいとおしさ、人の縁や運命の不可思議さ感じた。なんだか心が揺さぶられた。 展覧会は明日までです。 以下は、宮本さんからのメールの引用です。 ・・・ ・・・ お久しぶりです、宮本博史です。 お元気にされていますか? (以下、展覧会 情報です。) 『そこでなくて ここなのだろう』 会場は、亡くなった 祖父母が住んでいた部屋で、現在は 父が使っている所です。 そこに、私たち家族の 半世紀ほどの記録物を展示します。 その内容は、現自宅と同じ所の 50年前の8mmフィルムや、1958年の父の日記、結婚前に 母が父に送った手紙、私が産まれた際の8mmフィルム、祖母の火葬許可書 など、、 ある一家族の営みから 生まれたものたちです。 もし よろしければ、父と私が 常駐していますので、展示物に関する 思い出話などもいたします。 日時:7月30日(木)?8月10日(月) 13:00?20:00(無休) 会場:〒545-0005 大阪府大阪市阿倍野区三明町2-7-23-502(地図は こちらへ→ http://sumibiraki.blogspot.com/2009/07/d1730-810.html) 詳しくは こちらへ→ http://sumibiraki.blogspot.com/2009/07/d1730-810.html ?住み開きアートプロジェクトとは?? 大阪を中心に全国津々浦々の「住み開き」(自宅を代表としたプライベートな生活空間、もしくは個人事務所などを、本来の用途以外のクリエイティブな手法で、セミパブリックなスペースとして開放している活動、もしくはその拠点のこと)事例をネットワーキングするプロジェクトである。2009年7?8月の週末は、一般参加型の現地フィールドワークやパーティー、展覧会や上映会、住み開きシンポジウムなどを開催する。 ・・・  ・・・

Gempa ~Mandi Sama-Sama シェア

8月1日神戸Q2 ”Gempa"(作曲:ラハルジョ)

パリノも参加ジャワの朝


掃除する人


忍び寄る地震


混乱





4日間連続公演 そしてクモの巣のダンス (2009/08/04)

4日間連続公演 そしてクモの巣のダンス 木曜日は、斑鳩ホール。金曜日は、大和高田のさざんかホール。そして、土日は、神戸のQ2で「マンディサマサマ」。4日間連続公演。 土曜日は、セミナーとジャワ島中部地震を契機に生まれたラハルジョさんの作品「Gempa」の上演。「Gempa」の上演は、3回目。バリガムランの小林江美さん、バーンスリーのHIROSさん、それから数名のガムランエイドメンバーもパフォーマンスに加わった。地震を忘れないために行うお祭りのように、いろんな方にこれからも参加して行ってほしいと思う。それが、ラハルジョさんの願いでもある。僕は、地震を引き起こすダンスをした。蛇のようにも見える長い白い布を引きずったり、振り回したりして、暴れ回った。二日目の打ち上げの最後に、ボランティアの学生スタッフの女の子が話しかけてきてくれた。小学生の時に、灘区で地震を体験した時のことをすごく思い出した。蛇のダンスは、怖かったけど、自分の体験と近くて、なぜかうれしかったと。ラハルジョさんによると、今はまだジャワではできないと言う。しかし、いずれは、ジャワでもやることになるだろう。 日曜日は、11時から17時までの長丁場。僕の出番もいろいろあった。11時からのオープニングで、まずは伝統舞踊。Q2はフェリー乗り場なので、海に突き出た埠頭になっている。僕は踊りながら、お客さんの後ろの海が見えるし、お客さんは僕のバックに海が見える。ジャワ舞踊は、波の舞踊。とても気持ちがよかった。後で、見に来ていた美術家の西純一さんに写真をもらった。10年前、スペース天で帰国して初めて踊った時の写真と見比べると、姿勢はほとんど変わらないんだけど、心持ちが変わっているのが、映り込んでいる。ほんとにわずか変化なんだけど、これが10年の変化。 午後からは、美術家の池上純子さんたちとパフォーマンスをした。古い味のある階段。タイルに、手すりに、窓枠に、触ると感じる木目があり、長い時間の記憶が詰まっている。波打ったガラスを通して入る柔らかな光の中で、時間が経過して行った。 続いて、ワークショップ。波のワークショップ、振り子奏法のワークショップ。参加者の方も見事な波を送ってくれて、その波揺らされて、ガムランを叩いた。このシリーズは、どんどん深めて行きたい。最後に、少し湯気のダンスを試みるが、夏場は湯気が見えにくい。寒くなってきたら、またやってみよう。 そして、最後の大混浴。僕は、構成役をまかされていた。すべての出演者、美術家が参加した。ラハルジョさんの「Gempa」(地震)のその後を試みた。少しずつ再生して行くプロセス。しかし、いつしか地震は繰り返される。そして、また再生が始まる。破壊と再生の繰り返し。その再生に、すこしでも新しいなにかを加えていきたい。そんな思いを「シェア」したい、というのが今回のテーマだったのかもしれない。 打ち上げを終えて、家へ戻ると22時過ぎ。東京からやってきていたワヤン協会の中村伸さんが泊まりに来てくれた。では早速と、本をプレゼントしてくれた。すごい本だ。この本に関しては、もう一度改めて書かなければならない。松本亮さんのワヤンの本の新刊と絵本。 ワヤン・ジャワ、語り集成<上>、<下> 翻訳:松本亮 八幡山書房 月刊たくさんのふしぎ 2009年1月号 ノントン・ワヤン! 松本亮:文 橋本とも子:絵 熊谷正:写真 福音館書店 どうも先日の乾千恵さんの「スマントリとスコスロノ」以来、ワヤンづいている。 月曜日。チャーハンの朝ご飯を食べて、散歩へ。ブナも保育所をさぼった。田んぼのあぜ道を通ると、長く伸びた稲から、稲穂が伸びはじめていた。棚田は、日差しの加減か田植えの時期の加減か、段によって育ち具合が微妙に違って、きれいなグラデーションになっている。石垣にカタツムリ、桜に蝉、稲に小さなカエル、溝に沢ガニ、小川にシマ蛇。集落の外れにある岩から水がわき出している泉に到着。大きな自然の岩に囲いを付けて、小さな池ができている。足をつけると、1分も我慢出来ないくらいの冷たさ。汗が一気に引っ込んだ。ブナを後ろから突き落とした。止めろや!と言いながら満面の笑み。3度4度と、今度は自ら飛び込んだ。僕も、一緒に飛び込んだ。目が覚める気持ちよさ。 大きな木の横の急な坂道をあがると祠があった。今まで気づかなかった建物。大きなクモの巣があった。持ち主は引っ越したようだ。三方に渡された糸の張力を確かめる。結構しっかり、張られている。ググッと押して行くと、プツンと切れる。張りつめていたネットはスッと縮まり、風になびく。クモの巣のダンス。これだから散歩はやめられない。

2013年2月18日月曜日

それからのオンさん (2009/07/31)

7月29日水曜日20時に、河原町御池でジャワ舞踊のレッスンを終えると、HIROSさんから着信が入っていた。もしや、と思って電話すると、オンさんがまだ待ち合わせ場所に着いていないと言う。 

オンさんの経路はこう。 
阪急京都線大宮~梅田で乗り換え~阪急神戸線三宮 乗り換え ポートライナー三宮~ポートターミナル駅~上屋Q2 

なかなかのピクニックである。もちろん、梅田は事前に下見をしているし、三宮の乗り換えも経験済み。でも、ちょっと不安。大宮を出たのが、5時30分頃。2時間もあったら、着くはずなんだけど・・・。HIROSさんと久代さんは、ポートターミナル駅で待ちぼうけ。三宮で回らない寿司を食べるはずだったのに。8時30分まで待ってこなかったら、もう家に帰ろう、ってことにした。オンさんなら、なんとしてでもたどり着くだろうと。僕は、京都から家へと車を走らせる。 

9時頃に、オンさんよりHIROSさん宅へ電話あり。ポートターミナル駅に着いたが、誰もいなかったので、埠頭で太鼓の練習をしていた青年を呼び止めて、携帯電話を借りたとのこと。僕が最終手段として、教えていた作戦だ。ポートターミナル駅から、もう一度ポートライナーに乗って、市民病院前駅で降り、ようやくHIROSさんのお宅へ到着。回らない寿司ではなく、ダイエーのパック寿司と焼酎で乾杯になったとのこと。オンさんは、運悪く大宮~梅田も、梅田~三宮も普通電車に乗ってしまったのだ。もちろん、説明はしたのだけど、初めて日本に来た外国人にとっては、字も読めないし、なかなか難しい。僕も、イギリスの電車では苦労したことがある。HIROSさん、久代さん、オンさん、お疲れさまでした。翌日、オンさんはQ2で子どもたちとワークショップ。 

7月30日 
インドネシア障害者芸術団(分かりやすいグループ名だ)が奈良の斑鳩ホールで公演。僕もゲストとして出演。前日に来日し、この日の昼間に、照明、音響、リハを一気に全部やることに。通訳が必要かもしれないと思い、早めに現地入り。11時30分に、西名阪法隆寺インターを降りる。少しいくといかるが牛乳の工場。「♪やっぱり、いっか るっが いかるが牛乳!」思わず歌ってしまう。もう少しいくと、田園に立派なホールが。 

楽屋に入ると、総勢16名のインドネシア人が慌ただしく準備をしている。貫禄のある婦人2名は悠然と腰掛け、恰幅のいいあごひげの男性1名テキパキと指示をだしている。とりあえず挨拶をすませ、様子を見ることに。仙台に指圧の勉強で4年滞在した視覚障害のメンバーが通訳をしている。勉強で滞在しただけあって、日本語はかなりうまい。視覚障害、聴覚障害、車いす、義足、そして障害のないメンバーが自然に互いにフォローしながら、リハを進めて行く。主催しているたんぽぽの家のスタッフとホールのスタッフは、やや振り回され気味で困惑しているが、海外のグループとの仕事なんて、そんなもんだ。どうやら僕の出番はなさそうなので、悠然とした婦人と客席でのんびりと見学した。この婦人、なんとハビビ元大統領の妹さんとのこと。このグループの支援者の代表として、ツアーに参加している。1998年、30年以上続いたスハルト政権の崩壊後、インドネシアの大統領は、ハビビ、ワヒド、メガワティ、そして現職のユドヨノと続く。ワヒドさんは視覚障害者、メガワティさんは女性、インドネシアはなかなか進んだ国なのかもしれない。 

8時30分、公演は無事終了。 
遠方にも関わらず、数名の方が楽屋まで訪ねてきてくれた。ありがとうございます。 
今日は、大和高田のさざんかホールで公演です。無料です。 

インドネシア障害者芸術団来日公演 
The Indonesia Disabled Art & Culture Troupe 

大和高田公演 
日時 2009年7月31日(金)開場18:00 開演18:30 
場所 さざんかホール・小ホール 
主催 財団法人たんぽぽの家 
後援 斑鳩町社会福祉協議会/大和高田市社会福祉協議会/(社)平城遷都1300年記念事業協会/奈良県ビジターズビューロー 

詳しくはウェブで。 
http://popo.or.jp/wataboshi_project/news/cat112/post_7.html

お昼ご飯ですよ! (2009/07/29)

空心菜と牛肉の炒め、ジャワ風野菜スープ、茹でツルムラサキが机の上に並んでいる。僕は食べてしまったけれど、オンさんが散歩に出たまま帰ってこない。蝉が鳴いている。緑になびく稲の先に小さな穂が実り出したにおいを、湿った風が運んでくる。オンさんは帰ってこない。

車で探しに出ると、小川にかかった橋に腰を下ろして、なにやらノートに書き付けていた。車で帰らないかと誘ったが、もう少し・・・、と言うので、傘を渡して帰ってきた。オン・ハリ・ワフユさん、ジョグジャカルタのアーティスト。ジョグジャの郊外の村に住んで、アートでコミュニティの活性化を目指している。また、インドネシアの国民的作家プラムディア・アナンタ・トゥールの本の装丁したり、ジョグジャのストリートチルドレンを扱ったガリン・ヌグロホ監督の「枕の上の葉」ではアートディレクターもつとめている。今回は、ガムラン・エイドのイベントに参加するために来日しているのだ。 

オンさんと、24日は、奈良の東大寺、春日大社、たんぽぽの家へ。27日は、領事館員と心斎橋でブラジル料理、京都で散策。そして昨日は、神戸でアンクルンコンサートを見学。なので、今日は一休み。夕方、オンさんを駅まで送って、僕は舞踊のレッスンをしに京都へ。オンさんは、JRで神戸へ。HIROSさんと合流して、三宮で寿司を食べるらしい。今晩からは、インドの笛バーンスリー奏者のHIROSさんのところへ泊まるのだ。我が家のオンさんが泊まった部屋のクレテック(丁字タバコ)のいい香りはしばらく残るだろう。 

すると、なぜか廃品回収のトラックに乗ったおじさんともに、オンさんが帰ってきた。雨がぱらっと降ってきたのだ。なにかいいタイミングだったので、捨てるタイミングを逃していたテレビを引き取ってもらった。おじさんも喜んでくれた。来年になると、今使っているテレビも捨てないとダメになるんだろうか。日本中で捨てられるテレビは、どこへ向かうのか。そういえば、月曜日に、美術家の友人から、そういうテレビは中国へ引き取られていくんだと言う話を聞いた。循環不可能な物質に頼っている生活。全部を捨て去るのは難しいが、できる範囲でやりたいと思う。 

オンさん!お昼ご飯ですよ。

赤い鳥が逃げた (2009/07/17)



2週間ほど前、すごく天気のいい日に、家の前の坂道で車を洗車した。小桜インコのパリノもカゴから出してやった。車から滴り落ちる水滴で水浴びをした。そこら中を歩き回ったが、逃げていく様子はなかった。 

今日はまずまずの天気だった。鳥カゴの掃除をした。パリノはいつものように窓枠に陣取り、外で飛んでいる鳥と鳴き声を競っていた。窓枠にこぼれたエサを掃除機で吸い取ろうとしたら、驚いたパリノが窓から飛んでいってしまった。 

パタ、パタ、パタパタパタパタパタタタタタッ 

15メートルほど先の桜の木にとまった。ヒナの時に羽を切っていたが、ちょっと生えそろってきたのか、思ったより遠くまで飛んでいった。スゴイ、スゴイ・・・。感心してる場合ではない。一大事。あわてて、ゾウリをつっかけて、桜の木に登った。しかし、よく分からない。もう一度2階の部屋へ登り、同じ高さから目を凝らすと、枝の先の方が揺れていた。桜の葉と羽の色が一緒だが、頭が朱色できれいに浮かび上がっている。 

洗濯干しの長い棒を持って、再び桜に登った。パリノちゃん、いらっしゃい、と棒を近づけたら、 

パタパタパタパタパタタタタタタタ 

今度は、さっきよりずっと上手に飛んでいってしまった。土手の下にある栗の木の方だ。桜から飛び降りて、ゾウリで走ったが、追いつかない。また見失ってしまった。しばらく探すが見つからない。パリノ~、パリパリ~、と叫んでいると、栗の木のある家の奥さんが出てきた。すみません、お騒がせして・・・。と説明していると、パリリリリッ、と鳴き声が聞こえた。

Kさんの家の屋根の上でパリノが鳴いていた。下では、犬が吠えている。ブルブル怖そうにしている。こっち、こっちと呼びかけて、手を伸ばしていると、チョンチョンチョンと手の中に飛び込んできた。 

あ~、あ~、あ~、よかった。今頃、パリノはどんな夢を見ているんだろうか?

ワヤン(影絵芝居)の絵本 (2009/07/08)

先日、福音館書店から絵本が届いた。数日経って、乾千恵さんからも届いた。 

「山からきたふたご スマントリとスコスロノ」 
http://www.fukuinkan.co.jp/detail_page/978-4-8340-2452-4.html 

千恵さんとご両親が日本へ帰ってきたのだ。本は出来立てのホヤホヤ。2009年6月20日発行。ちょうど本が出来上がる頃、ジョグジャカルタで「ワヤン・フェスティバル」があり、乾家のみなさんはそれを見に行っていたのだ。去年に引き続き、ジョグジャの我が家に滞在された。電話で話した千恵さんのお母さんによると、宇宙支配の神様(ブトログル)の思し召しで、今回も奇跡の連続のようにいろんな方や出来事に遭遇されたそうだ。 

僕が初めてジャワでワヤン(影絵芝居)を見たのは、1992年。泊まっていたソロの宿ジョヨクスマンからGL-PROというホンダの125ccのバイクに乗ってクラテンの村を目指した。近くに着いたようだが、田舎道は真っ暗で、会場が分からない。何せワヤンは厄よけなどのために個人の家で行われるので、目印がない。道端で、歯だけを浮かび上がらせて暗闇に溶けこんでたむろする若者にたずねたが、なんだか要領を得ない。気の良さそうなおじさんに声をかけると、ジャワ語でチンプンカンプン。当時の僕は、ジャワ語どころかインドネシア語も片言だった。それでも、何度も聞いたり、土の道に地図を書いてもらったりして、だいぶ接近してきたようだった。 

バイクのエンジンを止めると、田んぼではカエルが鳴いている。夜風が涼しい。と、かすかに風に乗って、ガムランの音が聞こえてきた。音をたよりに近づいていくと、グンデルの音、ダラン(人形遣い)の声、そして観衆の笑い声が聞こえてくる。こんもりとした木々の向こうにはテントがあり、白熱灯が光っている。眼鏡をかけ、ひげを蓄えたダランが手に持った人形をクルッ、クルッと放り投げては見事にキャッチする。白い幕の前に置かれた大きな木の箱から、助手がドンドンと人形を出していく。張り付いたかと思った影は、スッと幕から離れ、別の空間へと飛んでいく。すると新しい影が彼方からピュッと飛んでくる。めまぐるしく、登場人物が入れ替わる。七色の声がそれを演じ分ける。ホォ~~、朗々と歌いはじめたかと思うと、足の指に挟んだ小槌で、金属の板を打ち付け、ガムラン奏者たちにキューを送る。一斉に20人近い奏者が船出のようにガムランを漕ぎだす。夜半過ぎの道化が出て来るシーンでは、歌手の女性やお客さんにもちょっかいを出して、大爆笑をとる。そして、物語は、丑三つ時を佳境へ向けて進んでいく。明け方までダランの八面六臂の活躍は続くのだ。 


あとがきで、日本ワヤン協会の松本亮さんがあるジャワ人言葉を書いている。 
「よく外国のひとは、ワヤンはガムラン音楽や人形が美しい、と言います。でもそれだけじゃないんです。むしろそれは二の次で、ジャワ人たちは、ほんとうはダランの語る物語を聞いて、徹夜のワヤンに心をしめつけられたり、涙をながすのです。」 

スマントリとスコスロノのふたごの物語。心がしめつけられます。車いすの千恵さんと、そしてきっと2人3脚でお母さんも一緒に作り上げた絵本。千恵さんのような人がこの物語を紹介することにもきっと宇宙支配の神様の働きがあるんだろうな。

ビリージーン (2009/07/02)

「ビリージーン」が発売された1983年、僕は中学2年だった。こんなにカッコいいダンスがあるのかと、友達の塗本クンとよく真似をした。 

訃報を聞いて、you tubeで映像を繰り返し見てみた。何に引きつけられたのかと。今見ても、本当にカッコいい。そして、僕が考えるいいダンスやジャワ舞踊ともたくさんの共通点を発見した。脱力していて、音や衝動に突き動かされた一点を起点に動く。舞台の空気、気配を感じ、それが見るものに伝わるダンス。プロモーションビデオ、ライブ映像など見比べてみた。顔が変わっていくので、映像の年代がすぐ分かる。「オフ・ザ・ウォール」までのものは、歌手マイケルが曲に合わせて踊っている感じ。「ビリージーン」では、ダンスと音楽が一体化しはじめている。最近のになると、一般的にはダンスの完成度が上がっていると言われているが、僕にとっては、衝動的に踊る感じが少なくなってやや物足りない。80年代の「ビリージーン」は、どの映像を見ても、野生のカモシカが自分の力に身震いするように、何者かにおびえるように、神経を研ぎすませ生き生きと躍動している。しかし、90年代以降も、マイケルは、この曲で自分のダンスの多様性や自由度の限界にチャレンジしているかに見える。群舞をせずにソロに徹している。天才的な素材が、段々とテクニックを身につけ、ライブで自由自在にダンスしはじめている。テクニックの進歩による過剰な演出と衝動から来る素朴だけれど切実なダンスとがせめぎあっている。 

「ビリージーン」でのマイケルは、振り付けを踊っていない。いくつかの振りのパターンを、ポケットやベルトに武器を忍ばせるようにからだに携えて、音楽や観客の興奮をその場で感じつつ、繰り出していってる感じなのだ。もちろん、巨額なマネーが投じられたショービジネスなので、予防線は張られている。例えば、前奏が始まってからの一連の部分。スポットの輪にスルリと忍び込み静止。ビートの律動に共振し腰が動く。左右にキックを入れ、クルッと旋回し、左右に足を組み替える。少し湾曲して傾いて直立し、重力に合わせてからだを一気に傾け、足をクロスしながら、帽子を飛ばす。あ~完璧!この部分はこうでしかありないので、どのコンサートでもほぼ変わらない。それ以降は、メロディの部分、サビへの移行部分、サビの部分、間奏ビートのみ、間奏ギターあり、など大雑把にとらえながら、武器を繰り出していく。即興だが、一定のルールがあり、曲の進行とダンスが相乗効果を作っていく。歌うところ。伸びやかに走るところ。盛り上がりに向けて急を告げるところ。盛り上がりの中の静寂。間奏でのテンションのキープ。そして最終兵器ムーンウォークが生み出すダンスのクライマックス。

即興的に踊りながら、自分も楽器の一つとして参加している感じなのだ。時折繰り出す叫び声、しゃっくりがビートを超えたビートを刻む。観客の声が場を揺り動かす。 

繰り出される武器は、例えばこんな感じ、 

サイドへのキック 
正面へのキック 
少し重心を落としての左右へのステップの組み替え 

その場でつま先を床につけてのかかとを旋回させるステップ 
その場で1回転  
その場で何度も回転 
つま先立ちでストップ 

髪を直す 
耳をそばだてる 
首を前後に振る 左右に振る 
手のひらを前に向け掲げる 
どこかを指差す 
帽子を直す、投げる 
手袋を付ける、直す 
ジャケットを着る、直す、裾を払う 
ベルトを直す 
ズボンをたくし上げる 
股間を押さえる 

その場でおしっこが我慢出来ないように飛び跳ねる 
その場でうずうずして我慢出来ないように駆け足する 

スキップして走り回る 
足を引きずるように歩く 
モデルのようにつま先をひらひらさせて歩く 

これらの武器を、衝動と音楽と場の気配を察知しながら、というか察知する直前くらいのタイミングで繰り出していく。そして、光と音と大観衆と一体化していく。 

「言葉でより、ダンスの方がコミュニケーションしやすいんだ。」というようなことをマイケルが言ったと、中学生だった僕は記憶している。そのことの意味が段々分かってきた。マイケルが進んだ道とは、ちょっと違う道かもしれないが、僕は僕なりの新しい武器を探したいと思うし、あるいは、時には、集めた武器を全部投げ捨てなければならないこともあると思っている。

コットロイさんとデート その2 (2009/06/30)

6月22日 
19時、亀岡駅にオーストラリア人作曲家のデビッド・コットロイさんを迎えにいった。去年も来日し、マルガサリと恊働作品を作った。今回は、10ヶ月間埼玉の秩父で尺八を習っている。合間を縫って関西へ遊びにきた。我が家には、月・火と2泊の予定。 

スペース天到着。ほぼ夏至なのでまだうっすら明るい。中川真さんの提案で、まずは蛍狩りをすることに。近くの川を下っていくと、はじめは見つからなかったが、 

す~   す~     す~~ 

と1匹、2匹と飛び交いはじめた。たくさんいるのもいいが、こんなのもなかなかいい、って「枕草子」にも書いてたっけ?ほんとうになかなか味がある。余野川をさらに下っていくと、群生しているところもある。そこへは1週間前くらいに、家族で見に行った。 

その後、なんとなく蛍のイメージを持ったまま、コットロイさんとマルガサリのメンバーに加えて、Mさん、岡戸香里さんで即興をやってみた。最後は明かりを消して、携帯電話の青い光で踊ってみた。 

6月23日 
ブナを保育所へ送っていき、そのままコットロイさんとデートに出かけた。去年は京都でデートしたので2回目だ。彼の持っていた英語のマップに印がつけてあったので、まずは天神橋筋商店街へ。 

・天神橋筋商店街 
・大阪天満宮 そして近くにある阪倉康美さんの雑貨屋「スイミー」へ。残念ながらまだ開いていない。 
・天満橋駅  
谷町線で天六へ 
・天満の公設市場(数年前に新しい建物が出来て少し情緒が無くなった) 
移動 
・鶴橋 コリアンタウン(こちらはまだまだディープな感じ) 
昼食 角屋(市場の角にあった店、たまたま入ったがおいしかった。) 
ベジタリアンのコットロイさんはピビンパ+トックスープ+キムチ、僕は韓国冷麺。 
移動 
・築港の大阪アーツアポリア(先鋭的音楽の聖地) 
小島剛さん、宮本博史さんとおしゃべり、大阪ピクニックの打ち合わせも。小島さんの薦めで製鋼所へ。 
・住之江の中山製鋼所(鉄の管がグルグル巻き付いたむき出しの工場)~眼鏡橋 
移動 
・西成をウロウロ 日雇い、置屋・・・ 
移動 
・でんでんタウン~心斎橋~アメリカ村 
移動 
・靭公園 Port Gallery T(若い人の写真のグループ展を見学。オーナーの天野多佳子 さん、新茶をありがとう)などをブラブラ。 

箕面トンネルを使って家に戻り、イウィンさんを拾って、保育所でブナを拾って、豊中の実家へ。ブナを預け、石橋のジャワ舞踊のスタジオへ。レッスン後、再びブナを拾いに実家へ。 

・箕面の田村橋通り(日本で初めて近代住宅地) 
帰宅。 

1日かけて、駆け足で、大阪を東西南北移動した。 
今更ながら、大阪のごった煮具合を再確認した。

ローズゼラニウムとくちなしと (2009/06/24)

この間、門仲天井ホールでのイベントのことを書いた際に、いい香りの葉っぱの名前を忘れてしまったと書いた。花を生けてくれた曽我敦子さんからメールが届いた。 

・・・ ・・・ 

ブログにまで載せて頂けるなんて、光栄です! 
あの葉の名前は、ローズゼラニウムといいます。 
ハーブの仲間です。他にもレモン、ペパーミント、アップル、 
パイナップル、シナモン、ストロベリー、ナツメグ、、などの 
香りがするものもあるんですよ。 
園芸店などですと、苗ものとしても販売していますので、 
育ててみることもお薦めです。 

余談ですが、あの日、会場で佐久間さんがおっしゃっていた 
視覚に見えないものを感じる感覚、という一節が印象的でした。 

・・・ ・・・ 

ジャワ舞踊でも、衣装に花を使うことがある。 
ジャワ舞踊家、研究家の冨岡三智さんが「水牛のように」という雑誌に、このことを書いている。 
http://www.suigyu.com/sgbn/sg0605.html#09 

僕は踊りながら、空気の流れを感じることがある。 
見えない空気に波長を合わせ、グッと揺すったり、たぐり寄せたり、すり抜けたり・・・。花や香の芳香が徐々に混ざり合っていく。香の煙が細くたなびいていく。ガムランの音が螺旋を描き、柱になって立ち上っていく。 

今晩、京都でのジャワ舞踊のレッスンを終えてビルから出ると、御池通の植え込みのくちなしがクラクラするような甘いムアッとする香りを漂わせていた。