2013年8月27日火曜日

つながっているお知らせ (30/08/2010)

8月29日 
大阪本町のインドネシアレストラン「チタチタ」でのインドネシア語のレッスンを終えて、船場アートカフェへ。8時間近くしゃべりっぱなしで頭と口のブレーキが緩んでいる。久しぶりにバリ舞踊の大西由希子さんと会う。最近思っているダンスのことをお互いにいろいろ話し,その後でからだを一緒に動かしてみた。10月に、大西さんは「石の花」という舞台を主催するんだけど,それについての相談を受ける。 

来週は,蚊取り線香のケムリを使ってふたりでダンスの練習をすることにした。 

・・・ ・・・ 

マルガサリが作曲を委嘱している三輪眞弘さんの本が出た。ガムランとダンスのための作品「愛の讃歌」についても書かれている。架空の民族音楽や宗教を生み出したり,演算を楽譜やダンス譜にしたりすることから、ダンスや音楽を作る三輪さん。コンピュータを駆使しながらも、からだにこだわる三輪さん。そして、ジャワの音楽やダンスをしながらも、そこに音楽やダンスの種を見つけて,風に乗せて別の土地で芽を出せないかと試みているマルガサリ。読むべし。なんと坂本龍一と中沢新一がでかでかと推薦文を書いている。 

三輪眞弘音楽藝術 全思考 一九九八-二〇一〇 
作者: 三輪眞弘 
出版社/メーカー: アルテスパブリッシング 
発売日: 2010/08/20 

http://www.artespublishing.com/blog/2010/08/03-726 

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マルガサリのメンバーで、僕の映像もいろいろ撮ってくれている本間直樹さんの本が出る。2010年9月2日発行と書いているので,出来たて前のアツアツ。本間さんの専門は哲学は哲学でも、リンショウテツガク。鷲田清一さんのこんな文章で本は始まっている。 

終わりなき途上で ー 臨床哲学という試み 

「倫理学」講座という看板を「臨床哲学」教室へと書き換えて、もう十年以上になる。そのときすぐにでも「臨床哲学宣言」なるものを世に問うべきであったかもしれない。が、「臨床哲学」としての一歩を踏みだすときに、わたしたちに共通に見えていたのは,たぶん、大学という場所におけるこれまでの哲学研究・哲学教育のあり方への疑問,というより半煮えの苛立だけであった。 

(つづく) 

ドキュメント 
臨床哲学 

鷲田清一 監修 
本間直樹・中岡成文 編 

大阪大学出版 

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I-Picnicを一緒にやっている作曲家の野村誠さんが、「プールの音楽会」というコンサートを愛知トリエンナーレでやったみたい。「湯気のダンス」、「水のダンス」、「ケムリのダンス」をやっている僕は、もちろん気になるわけです。この音楽は,きっとダンスでもあったのだと想像されます。野村さんとは、9月に我が家の付近で即興パフォーマンスと撮影を行うことになりそうです。 

野村誠さんのブログ 
http://d.hatena.ne.jp/makotonomura/20100828#p1 
ニュースにもなっています 
http://www.asahi.com/national/update/0829/NGY201008290016.html 

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いろいろ情報でした。どこかでつながっているようなニュース。

鳥の劇場 喫茶店のダンサー (12/08/2010)

8月11日 
大阪大学コミュニケーションデザインセンターの本間さんの新車アルファロメオで、奈良養護学校へ向かった。体育館へ入ってくと,たんぽぽの家のスタッフがほぼ全員そろっていた。中央には,鳥の劇場の中島さんとおぼしき人が腰に手をおいて,細身のからだに白いシャツを来て、眼鏡の奥に微笑みをたたえて立っていた。どうやら、5人ほどのグループに分かれて,喫茶店の小芝居をしているようだった。木曜日のガムランワークショップに参加している小松さんが、寝転んで熱演しているところだった。後で聞くと,「喫茶すべる」という店で,常連以外はすべって転んでしまう店なのだと言う。なんとそそる設定か。 

喫茶店の小芝居に続いては,泥棒学校という加古里子さんの絵本の一部をグループごとに演じるというワーク。たんぽぽのスタッフは,自らも歌を歌ったり,芝居をしたり,美術をしたりという多才な人が多い。その一癖も二癖もある面々が、ちょっと斜に構えたり、混ぜ返したりしながらも,中島さんの言うことを聞いて、エンジョイしていた。集団でなにかを作り出す喜びなのかな。自分を見つめ直すダンスのワークショップとは違う雰囲気だった。犬走りの上の窓は大きく開かれ,黒いカーテンが気持ち良さそうに舞っていた。みんなで、中島さんのお土産の鳥取のスイカを食べた。 

昼休憩を挟んで、5時間近いワークショップを終えて,たんぽぽの家へ戻った。2階のミーティングルームでホットコーヒーをいただく。メンバーは,たんぽぽの家の播磨さん,森下さん、井尻さん,北田さん、鳥の劇場の中島さん、斉藤さん,村上さん,演劇人の森永さん,そして、本間さんと僕。「言語から身振りへ」研究会が主催して,演劇のワークショップを行い,そしてそれについて振り返るというのが、今日の趣旨。 

この日のワークショップには、いくつかの明確な意図があった。見えないエネルギーのやりとり、キャラクターを演じることによって普段と違った生き生きとした存在になる,からだを通して人に読ませる表現にチャレンジする,あるいはその表現を読むことにチャレンジする、などなど。その意図通り,ワークショップの場は、生き生きとした場になった。しかし、研究会が目指すことは、その先のことである。プロのアーティストが参加する限定されたワークショップをより多く人に伝えることができるのかどうか,一見ケアと関係の無いように思えるアートが実はケアと深く結びついているんじゃないかということを探る,などである。 

夜の高速道路でアルファロメオを運転させてもらった。セミオートマの癖を探りながら,本間さんといろいろと話した。中島さんは、フィクションが作った集中の共有を観客に見せるのが演劇であり,そのフィクションや物語を作るには,人のからだを読ませたり、読んだりするのを前提とする意味や言葉の共有が必要であると。では、ダンスはどうなのかと。僕も,目に見えにくいものを観客と共有することは、ダンスにおいて大切なことだと思う。それを共有するためには,ダンサーの自然なからだの動き、あるいは感覚が必要となる。特に、重力やからだの構造に即したそうでしかありようのない動き。ここから外れて行くと,見る方はついて行くのが困難になって行く。ダンサーが勝手に動いて行く感じ。表現者と観客が持っているなんらかの共有をよりどころにしているのは、共通する部分である。また逆に言えば,意味や言葉の芸術と動きや感覚の芸術といった違い。ダンスには意味や意図が不明瞭なことも含まれる。時には無意識やトランスも含まれる。簡単に断ずることは出来ないけれど,僕が湯気と踊ったり,言葉が通じにくい人とダンスすることに喜びを感じるのは,そんなことが関係しているのかもしれない。車は渋滞を抜けて,本間さんのマンションに到着した。 

8月12日 
明け方、猛烈な風と雨で目が覚めた。強烈なシャワーに,家も森も田んぼも洗われるようだった。警報が出たので,いろいろと予定が変わった。明日会う予定だった砂連尾さんに電話すると、今日でも会えるというので、豊中の丘の見える喫茶店で会った。砂連尾さんは、舞台で大掛かりなセットや照明の中で作品発表をすることに違和感を感じているようだ。それで、僕がやっている炊飯器の湯気でダンスしたりするのに興味が湧いているとのこと。僕が,どうしてそんなことをするようになったのかを、考えながらゆっくりとしゃべった。自分自身も、整理されたり,発見したりすることがあった。 

砂連尾さんは、現在伊丹のアイホールでダンスの制作をしているとのこと。そこに参加している人に,一度ワークショップをして欲しい,という依頼だった。それから、その後も、なにか一緒にやりたいね,という話。あせらず、何度も会って話をしたり,からだを動かしたりしてすすめたいなあ、と。

ジョグジャスピリッツ (05/08/2010)

7月25日から8月3日 

インドネシアのジョグジャカルタにあるSLB 3 (Sekolah Luar Biasa 特別支援学校)で4日間ワークショップを行った。日本から参加したのは,ダンスの僕,美術の池上純子さん、犬飼美也妃さん、川本哲慎さん、遅れて到着の音楽の中川真さん、阪大のグループダイナミクスの諏訪晃一さんと学生の秋山浩太さん。ジョグジャ側は,ISI Yogya(インドネシア芸術大学ジョグジャ校)が協力してくれた。27日に,ISIの学生とともに,SLB 3へ。校長先生と担当のカルラ先生が迎えてくれる。こちらのワークショップの意図を説明する。障がいある人の芸術の可能性と共同作業がしたい、ということ。 

学校側は,聴覚障害の生徒10人を対象にしていた。事前に、ISIのジョハンさんを通じて、僕たちが知的障害の人たちと共同作業をしていることは伝えていたのだけど・・・。あらためて、いろんな障がいを持つ人とやってみたいと説明すると,ダウン症、視覚障害、下肢に障害のある5人も参加することになった。1日目は,とにかくまずは仲良くなることを目指して,ダンスで接近した。視覚障害の男子5名の中学生は、このメンバーでずっと一緒にからだでコミュニケーションをとって来たのだろう。5人がひとつの生き物のようだ。 

3回のワークショップを通じて,ダンスの種,手話をヒントにしたダンスやコミュニケーション法をいろいろと開発した。美術のワークショップを通じて,コスチュームと舞台のバックグラウンドもできた。4日目の最終日に流れを考えた。ある程度の構成を取りながらも,その場その時に感じることを大切にする流れ。即興性をいかに残すかということに、いつも苦労するのだけど,ここが肝要だ。常に、感じながら動いたり,音を奏でること。なんとかかんとか、リハーサルが終了。 

独立した部分としては, 
ダウン症のインダと佐久間のダンス 
聴覚障害男子5人と佐久間の群舞 
美也妃さんと聴覚障害のリンダとの通じにくい手話のコミュニケーション 
真さんと視覚障害のリサとの太鼓デュオ 
下肢障害のリサのキーボードソロ 
など。 

それに、 
手話を元にしたダンスを使った即興 
昆布ダンス 
波ダンス 
といった全員のシーン。 

31日夜 
美術の3人が作ったインタレーション展のオープニング。王宮の南広場に近いISIの大学院キャンパスの中庭が会場だ。副学長の挨拶に先だって,なぜか僕もあいさつをすることに。芸術は、目に見えにくいけど、耳に聞こえにくいけど大切なものを表現している。障がいある人は、からだを通じて常にこのことに立ち向かっているので,彼らの表現はおもしろいのだ、ということを伝えた。 

挨拶が終わって,蒸しトウモロコシ,バナナ,茹でピーナッツなどの軽食タイムになると,なんだかんだと人が増えてきた。2003年から長期留学中の金属造形の聖子さんやワヤン研究のゆうさんも見に来てくれた。美也妃さん、純子さんが自らのインスタレーションとのパフォーマンスをした。川本さんが篳篥で加わった。その後で,僕は即興のダンスをした。インスタレーションや木々や空や観客を感じてのダンス。ISIの学生の作品に絡んでると、柔らかな女性のシルエットが目に入った。飛び入りダンサーだ。しばらくするともうひとりの男性ダンサーが入ってきた。3人で空気を感じながら踊った。最後は、美也妃さんの作品の米粒を拾って,空に放り投げた。 

1996年の夏に、ダルマブダヤがインドネシアツアーを行った。僕は,留学中で1年が経過したところだった。ジョグジャのプルナ・ブダヤ(文化センター)での公演中,真さんが舞台袖にいた僕に向かって,「踊れ!」と叫んだ。即興ダンスなんてしたことのなかったけれど僕は,ジーパン姿で思わず舞台の飛び出て,汗だくになって,身もだえた。すると、長髪の男性が飛び出てきたのだった。すきあらば、踊るのがジョグジャスピリッツか! 

1日 
創造音楽祭が始まった。ジョハンさんが企画しているフェスティバルで、楽器にとらわれずに生活用品なども取り入れながら、先生や芸術家がリーダーとなって小学生と新しい音楽を作る試み。今年が第2回。留学当時からの友人ちのさんと息子も見に来てくれた。SLB 3と僕たちはゲスト出演をした。小学生5団体の後に,20分ほどの公演をした。当日急に休んだ人もいたりで,少しドキッとした場面も会ったが,みんなのびのびと楽しんでくれたように思う。 

公演後、弁当を食べながら、音楽療法のジョハンさん、芸術高校校長でダンスのスナルディさん、現代音楽の作曲家のアスモロさん,美術家でコミュニティアートのオンさんといったメンバーであれこれ話した。即興に対する日本とジャワでの捉え方の違い,インドネシアの芸術教育について,生活用品を音楽に使う必然性や疑問について,などなど有意義な話し合い。 

翌日の早朝には帰国。いつもながらジェットコースターの旅。 

今回ジョグジャで食べたもの一部ですが・・・ 
クイチャウ・ゴレン(焼ききしめん)@プジョクスマン舞踊団の近く中華Terang Mulyo(おばあさんがひとりで鍋を振り続けている) 
イカと鳥のカレー風煮物、揚げなすびなど(パダン料理)@プジョクスマン舞踊団の近くパダン料理Duta Minang(ちょっと高いがジョグジャでは本格的な部類) 
ソト・サピ(牛肉のさっぱりスープとご飯)@パタン・プルハン通りのパ・マルト(有名店の本店 安くて手堅くおいしい) 
カニのメダンソース、茹で鳥、アスパラとコーンのスープ、フヨウハイ、カイランの炒めなど@メリアホテル近くの中華レザット(行きつけの名店 最近は紹興酒が飲める!みたい) 
ナシ・グドゥ(ジョグジャ名物ジャックフルーツの煮物)@クラトン近くのウィジラン通り(お気に入りのユ・ジュンはご飯売り切れだった、残念!) 
ペンネのパスタ、本格ピザ@ティルト・ディプラン通りK's Meal(フランス人コックがいた ジョグジャではあり得ない水準!) 
ビーフン・ゴレン(焼きビーフン)@ティルト・ディプラン通りクダイ・クブン(味はまあまあ。美術の情報収集のついでに。テアトル・ガラシのダンサーと偶然出会う。) 
グラメ・バカール(淡水魚の照り焼き風)@IKIP PGRI近くのシーフードレストラン(池の上の水上レストラン) 
などなど、おいしくいただきました。今回は,早朝に家を出ると,夜中まで帰れませんでした。ほんとは家庭料理が一番なんですが・・・。 

そうそう、秋には、ISI Yogyaとの共同コンサートが9月18日に河内長野のラブリーホールで,Kratonとの共演が10月10日に立命館大学であります。その打ち合わせも行いました。また、お知らせいたします。 

水行 (22/07/2010)

7月22日 
暑い時はシンプルだ。あれこれ考えないのがいい。 

暑いからアイスをブナに買ってやる。 
暑いからビールを飲む。 

あれこれ考えない。 

終日、標高600メートルの野外で作業。頭がゆだっている。 
ブナを学童に迎えに行き,帰宅。標高450メートルの我が家もさすがに暑い。 

水シャワーを浴びようとすると,小桜インコのパリノも暑そうだったので、一緒にシャワー。バシャバシャかかると気持ち良さそうにジッとしている。 

こんなに暑い時も,ブナはひとり元気。 
部屋でサッカーだ!!プロレスだ!! 
暑い暑い。 

家の前に引きずり出した。 
2ヶ月ほど前から,理由は知らないんだけど,家のすぐ横の町の共同給水井戸が使われなくなった。電源は止まったんだけど,70メートルの井戸はコンコンと湧いていて、水がチロチロと我が家の前の溝を流れている。これが、冷たくてめちゃくちゃ気持ちいいのだ。 




水遊びが段々エスカレート。 
最後は水行に。 
冷たい水を浴びた岩が温もって、岩の匂いを発している。 



ブナが2階へシャワーしにいったので,あったかいコンクリートの坂に寝転んだ。藍色の暮れた空に青い雲が流れている。大家さんの裏庭の母屋の建て替えように植えているという檜の林からヒグラシの声が次から次へと音の波になって響く。阪急バスが終点の転回場でUターンをする。カラスが飛んでいき,フンをする。 

おい、プロレスしようと、2階から声が聞こえてきた。 
(写真は,大雨の後と、今日のもの)

音の力、そして、聴衆の力 (14/07/2010)

7月11日 
みんぱくでマルガサリのコンサート。ゲストはたんぽぽの家のメンバーとYangjahさん、特別出演にロフィットさん。 

プログラム 
・SANZUI 前編 (監修:佐久間新 )
・ドン・テ・シペシ (即興パフォーマンス) 

休憩 

・ロンドン・アリッ (ジャワ古典曲) 
・For Gender (作曲:David Kotlowy) 
・スカル・プディアストゥティ (ジャワ舞踊 佐久間ウィヤンタリ) 
・SANZUI 後編 (監修:佐久間新) 

最初のSANZUIでは、階段落ちをやった。からだが水のようになり、階段を滑り落ちていく。完全に水にはなりきれなかったので,すねに少し血がにじんだ。舞台の平面まで落ちていって,生き返って,ドン・テ・シペシへつなげた。即興パフォーマンスだけど、ここだけは決めていた。たんぽぽのナリミさんがいい感じで客席から登場した。その後,たんぽぽのHさんが車いすで出て来て、存在感を示した。と、すぐにMさんがHさんのぬいぐるみを取り上げた。ここのところ、こころに悩みを抱えて苦しんでいるMさんのパフォーマンスは混乱をもたらした。Mさんはほとんど練習に参加していなかったこともあり,やや想定外な展開に、舞台がねじれていく。しかし、即興は即興、なにもかも受け入れなければならない。しかし、Mさんがあくまでもマルガサリのメンバーとして登場したので,観客にはその混乱が分かりにくかったかもしれない。 

そういえば、つかこうへいさんが亡くなった。直接影響を受けたりはしてないけど、相当パワフルな人で,現場主義だったということを聞くと親近感がわく。役者のからだをもってすれば,階段くらい転げ落ちられるだろう。ダンサーのからだをもってしても,階段くらいは転げ落ちられる。その落ち方はちょっと違うかもしれないが。 

さてさて、なんとかかんとか前半終了。それにしても大変なプログラムである。ここまでで1時間近く。300人くらいの観客の多くが席を立つかもしれないな,と心配したが,ほとんどの人が残った。そして、後半へと続く。最後の最後にいいシーンが生まれた。SANZUIの終わり近くで、指に載せた菜箸で茶碗をちーんと鳴らすくらいの小さな音があらわれる。これだけの空間で、聴き取れるだろうかと心配したが,会場にいた全員が耳をすまし、この小さな小さな音を味わった。 

野村誠さんのブログにも書かれています。 
http://d.hatena.ne.jp/makotonomura/20100711#p2 

音の力,そして、聴衆の力を再確認。見に来てくださったみなさま,ありがとうございました。

介護とダンスとカエル (23/06/2010)

6月22日 
午後から、奈良のたんぽぽの家へ。「言語から身振りへ」ふれあう回路開発というプロジェクトの第1回の集まりがあり、僕はその委員に選ばれていたのだ。ことばを介さないコミュニケーションというのを考えよう,そして磨こう。そのためのワークショップも開発できたらいいね、ということなのかな。僕は,障がいのある人や子どもと即興で踊ったり,街や自然を感じながら踊るのも大好きなので,委員に選ばれたんだろう。だって、ダンスはまあ、言葉を介さないコミュニケーションだもん。 

たんぽぽの家のギャラリーHANAの1階のカフェで,舞台芸術プロデューサーの志賀玲子さんに久々にあった。以前会った時に比べて,とてもすっきりした顔だった。阪大のコミュニケーションデザインセンターの任期が終わって,ほっとしたとのこと。横の机では、2台のマックをつないで,細馬宏通さんがなにやらうなっている。マックが死にかけているそうだ。細馬さんとも久しぶり。以前,エイブルアートの冊子のために、僕にインタビューをして以来,ダンスに関する批評を頼まれることが増えたそうだ。細馬さんは、かえる目というバンドでボーカルをやっているので,僕は思わず,カエルの話を始めてしまった。ここのところカエルに取り付かれているのだ。 

細馬さんは、かえる目というバンドもやっているが,もともと生物の生態を観察するのが専門なのだ。最近は,人間の観察をしているらしい。だから、ダンスの批評も書けるんだろう。で、僕はカエルの話を始めた。 

おとといの夕方、フィリピン人音楽考古学者のアルセニオ・ニコラスさんが我が家へやってきたんですよ。ガムランとカエルの音を聞きに。彼は,1980年代にソロへ留学し,ガムランを学んだんで、僕とはこてこてのジャワ訛りのインドネシア語で話すんですよ。で、さっそく、自慢!のモリアオガエルの卵を見に,神社の前の池へ行って、参道の階段に座って耳をすましたんです。前の田んぼから,池の中から、いろんな種類のカエルの声が聞こえてくるんです。でも、なんだかちょっと違うんです。こころが沸き立ってこない。あれだけ、ここのところ僕をトリコにし続けてきたカエルの声が、もう終わってしまった、って感じなんですよ~。と、ほんとはもっと長いけど、だいたいそんなことを細馬さんと志賀さんに話した。すると、細馬さんが、それはね、卵を産んだからですよ,と答えてくれた。なんと、僕は、メスを呼ぶカエルのオスの声にほだされ続けていたのだ。5月以来、1ヶ月半近く。僕は,取り付かれていたのだ,カエルに!しかも、オスに!! 

・・・ ・・・ 

5月5日の今年最初のカエルに関するつぶやき 

豊中の実家の前のクスノキが衣替え中。新緑が水銀灯に光ってる。今日は,バティック(ジャワ更紗)の半袖シャツで出かけた。腕が火照っているが、夜になって吹く風がさましてくれる。地面に落ちたクスノキの乾いた葉っぱがカサカサいっている。 

豊能の我が家へ帰ってくると,トノサマガエルがシャウシャウシャウと大合唱。連休中に田植えがかなり進んだみたい。かすかに稲の匂いか,緑のニオイが風に運ばれてくる。 

・・・ ・・・ 

16時の予定時刻を少し回って,みんなで2階へ上がって,「言語から身振りへ」の集まりが始まった。細馬さんが、高齢者のケアハウスでの映像を見せてくれた。立ち上がるのが嫌なおばあさんがどうやって立ち上がったかという映像。介護の人の動きを細かく分析したプリントが配られる。介護している当の本人も気づかないほどのささいなこと、あるいは偶然的な要因も重なって,おばあさんはうまく立ち上がるのだ。ベテランのうまい介護者は、からだでそのことが分かっていて,自然にうまく動いてしまうのだ。ゴール前での、C ロナウドのように。 

食事を終えたおばあさんは、なかなか食器の片付けをせずに,食卓に座っている。食器を片付けるように声をかけられたおばあさんは,思わずお盆に手をかけ,立ち上がろうとするが,お盆を持ったままではうまく立ち上がれない。声をかけた介護者(と観察者の細馬さん)は、お盆を元のテーブルに戻すように言うが,おばあさんは聞かない。介護者は思い直して、お盆を、流しに近いもう一つのテーブルに置くように言う。すると、おばあさんはからだを回転させて,お盆を横のテーブルに置く。そして、介護者はさらに、お盆が落ちないようにテーブルの奥へ押すように言う。すると、おばあさんの右手が思わず盆から離れ,上体が前のめりになる。そこでおばあさんは立ち上がろうという思いが再びわき上がり,両手をテーブルにかける。その動きをとらえて、介護者はそっと背中に支え、おばあさんが自ら立つのをうまくフォローする。 

僕から見れば,即興ダンスと同じである。一旦あげたお盆は、元に戻すよりは活かしたい。流しにすこし近づけることによって,行為にプラスの意味が生まれる。うまくダンス(立ち上がること)に導きたいけど,手を取って,無理に踊ってもらっても,こころは踊らない。僕が,障がいのある人とダンスをしようとする時,僕は、彼らの手は取らずに,誘いかけたり、揺さぶったり,時には無視したりしてみる。こころをくすぐってみるのだ。もしなにかのはずみで、相手のからだの重心を動かせたら,それはダンスの大きなきっかけになる。少し動き出せば,あとはちょっとフォローすればいい。すこしづつ動きを共振させて行けばいい。 

細馬さんの発表の後で、出席者がいろんな感想を言いあった。たんぽぽの家の理事長の播磨さんは,老人は別の時間感覚を持っているんだから,それを尊重することも必要だ、と言った。会議室のバルコニーからよく見える西ノ京苑(特別養護老人ホーム)の館長やスタッフからは,最近の老人ホームは、きめの細かい介護が進んでいて,一方的に声かけをするんではなく,ご飯でも一緒に食べながら,日常会話をするんですよ、とか。朝食の場の雰囲気は,夜勤をしたスタッフによって、全然変わるんですよ、とか。なんとかして人生の最後を送るのにふさわしい場所を作り出したい、という思いがすごく感じられた。 

介護とダンスとカエルに、接点が生まれそうな予感。

ベッドと朝食のダンス (10/06/2010)


2007年の秋に、野村誠さんとイギリスへ行った。ハダスフィールドの小学校とエジンバラ大学でワークショップをした。ハダスフィールドでは、ケルマンメソッドという手法で演劇をしているボブ・ロックウッドさんの家にホームステイした。 

彼が,ベッドと朝食 B&Bで即興して撮影したいと提案した。でも、野村さんと僕は、ふーんという感じであんまりよく分かっていなかった。なので、ベッドでも服を着ている。ボブたちはちゃんとパジャマなのに。まあ、そんなところがおもしろい。 

ここのところ、自分のいろんな映像を見ることが多いが,イギリス人の目で撮られているからか,ちょっと心地いい違和感がある。2本目のは、僕の顔のアップがあるが,自分の正面からのアップを見るのは、なかなかすごい違和感である。鏡とは違う感じ。 

実験的な映像をどんどんアップしていますが,のんびりと気長に,気に入ったのを見てくださればうれしいです。 

まずは、タイトル。野村さんや僕が書いた字が。イギリス人には、おもしろく見えるんでしょうね。あと、将棋作曲の楽譜も出てきます。 
http://vimeo.com/11232324 

続いて,ベッド。最後は、なんだか空気が変わっていく感じ。ボブの娘さんレアちゃんの2段ベッドの上に、ホームステイしていたのでした。 
http://vimeo.com/7344552 

最後は、朝食。こんな家族はいない。このキッチンで日本食を料理しました。皿洗いをしているとボブの奥さんのタルが、「あなたたちは、ワークショップをして稼いでくれて,こうやって皿洗いを手伝ってくれたら,いつでも遊びに来ていいよ。」と言っていたので,また遊びに行きたいなあ。 
http://vimeo.com/11231217 

撮影/編集 Bob Lockwood

    水のダンス まわりがダンスしはじめるダンス (28/05/2010)

    5月24日 
    大阪大学コミュニケーションデザインセンターのオレンジショップで「からだトーク/水のダンス」を開催しました。ゲストは、僕と理学療法士の玉地雅浩さん。ホストは、哲学カフェの本間直樹さんと看護学の西村ユミさん。 

    オレンジショップの中では、大きなお鍋,グラスなどを使ったワーク。 

    理学部裏の空き地とそこにできた水たまりでは、プール、バケツなどを使ったワーク。 

    これをいつものごとく、本間さんが撮影。本間さんは映像作家でもあります。しかも、かなりユニークな。 
    この日の映像は、鍋の中の水,グラスの水,プールの水,水たまりの波紋、といった感じで,人よりも水に焦点が当っています。 

    しかし、これもダンスの映像だと思うのです。 
    本間さんいわく,僕のダンスは,からだだけでなく、あるいはからだよりも、まわりの人や環境と関わって、まわりがダンスしはじめるように見えるところが、面白いそうです。 

    本間さんとは,今後,映像作品も作っていこう、という話が盛り上がりつつあります。 

    かなり渋い映像ですが、僕は気に入っています。 
    水たまりのダンス 夜なんですが,実際よりかなり明るく映りますね。 
    http://www.youtube.com/watch?v=xyPqHOcsecs 

    グラスの水のダンス 手の甲にグラスを置いていると,ふっと、水と一体化する瞬間があります。そうなるともう、なかなか落ちない。 
    http://www.youtube.com/watch#!v=ABvEJ3DZXFI 

    鍋の水のダンス これは、重かった。もっとこぼさずにできると思ったけど,かなり難しかった。もう少し小さいので、またやりたいなあ。 
    http://www.youtube.com/watch#!v=5MZxdW5u04A 

    プールの水のダンス みんな気持ちよさそう。 
    http://www.youtube.com/watch?v=jo-ZYgIlc68

    セントーから銭湯、そしてカエルの集まり (25/05/2010)

    5月22日 
    14時45分 ブナの参観終了後,天神橋筋の元銭湯だったアートセントーへ向かう。ガムランエイドのイベントがあるのだ。15時45分に到着すると,何やらまじめなフォーラムが行われていた。元女風呂の脱衣所で、簡単にメークして,ジャワの衣装に着替える。ブナは、番台に座ってご機嫌。男風呂にはガムラン。湯船に沈んでいたり,洗い場に並んでいたり。まずは,ジャワの古典舞踊を踊る。そして、たんぽぽの家の岡部太郎さんのお湯を沸かすパフォーマンスに絡む。そこから、だんだんとダンスに。ブナが最後を締めてくれる。即興ダンサーのYangjahさんも来ていたので,絡んでくれるかと思ったが,インドの絵巻物の東野健一さん並んでニヤニヤして見てるばっかり。撮影は、本間直樹さん。彼がいるとどんどん何でもyou tubeにアップされていく。 

    ジャワ古典舞踊 男風呂編  
    http://www.youtube.com/watch?v=44_t_HZ26s8 
    http://www.youtube.com/watch?v=U8p9baV8sB4 

    岡部さんの湯気のパフォーマンス+佐久間新から、やがてお湯のダンス 
    湯気ダンス 
    http://www.youtube.com/watch?v=uGA0WGz3s58 
    お湯ダンス 
    http://www.youtube.com/watch?v=TV0KACRn230 

    その後で、10月23日に千里万博記念公園の太陽の塔の下で行うウドロウドロにチャレンジ。ガムラン関係者が多かったからか、風呂場で反響がよかったからか,とてもいい音になった。駆けつけてくれた作曲者ホセ・マセダのお弟子さんのアルセニオ・ニコラスさんも大満足の様子。 
    マセダ ウドロウドロ 男風呂編 
    http://www.youtube.com/watch?v=B1GkHYHzGUk 

    18時30分終了。風呂場でムンムン汗をかいたので,本物の銭湯へ。天六温泉。近くの定食屋でご飯を食べて,帰路へ。この日の晩は,ダンサーの砂連尾理さんが、我が家へカエルの声を聞きにいきたいと言い出したことから,盛り上がって、「朝までカエルの集まり」をすることになっていた。マルガサリの西田ゆりちゃんを乗せて,高槻の砂連尾さん宅経由で豊能の自宅へ。11時前には、全員が集合した。イウィンさん、砂連尾さん、西田ゆりちゃん、美術家できこりの小池芽英子さん、神戸大学コミュニティミュージック関係の三宅博子さん、中島香織さん、沼田里衣さん、シマダさん、デザインをしているカコさん。乾杯をして,ひとしきりおしゃべり。11時30分から、さっそくカエルの声を愛でに外へ出る。 

    我が家の東側の庇の下には、サウンドアーティストの鈴木昭男さんの「点音(おとだて)」のプレートがある。そこに立って耳をすますための標識。左右5~600メートル、奥行き3~400メートルの棚田の水が黒く光っているのが微かに見える。山をバックにした何万匹のカエルの音がオーケストラのように聞こえる。それぞれの田んぼのカエルグループが音量を変えたり,違う種類のカエルが鳴き出したりするのが手に取るように分かる。それから、みんな思い思いに夜中の田んぼへ出て行った。空からは今にも雨が落ちてきそうだった。 

    家の前の坂道に残った僕と砂連尾さんは、すこし坂を寝返りしたり,重力を感じながら,坂をゆっくりと歩いたりしてみた。一緒に踊る機会が、遠くない先にやってきそうな予感。 

    まもなく、空から雨がしたたって来た。カエルの声は一層とにぎやかになった。田んぼにいるよりも、「点音」で聞いた方がにぎやかに聞こえた。部屋に戻って,能勢の地酒「秋鹿」などを飲みながら,いろいろと話が盛り上がった。1時間おきくらいに何度か、田んぼへ聞きに行った。雨はだんだんときつくなっていった。仮眠をとる人も。僕はなんとか起き続け,ちびりちびりと飲んだ。午前4時前,空が白み始めたので,みんなを起こして、最後のセッションへ。雨が降っていたので,奇跡のアンサンブルとはちょっと違う音だったが,すこしずつ鳥の声が増え,カエルの声は、よせてはかえす波のように、大小を繰り返しながら,すこしずつおさまっていった。

    パーティ三昧 (19/05/2010)

    5月11日 
    石橋でやっているジャワ舞踊教室が終わってストレッチをしていると,野村誠さんから電話がかかって来た。コンテンポラリーダンスの砂連尾理さんの家にいるから、遊びに来ないかと。どうやら、野村さんは僕たちを引き合わせたいようなのだ。僕は昔から、「フットワークは軽く,迷ったら行く!」をモットーにしているので,この日は早朝から出ずっぱりだったんだけど,行くことにした。高槻のお宅まで車で45分。手巻き寿司を囲んでパーティ,野村誠さん、藪公美子さん、砂連尾理さんと奥さんの瞳さん。砂連尾さんがハイテンションで、山に登る話,パラレルワールドの話,波の話などを語ってくれる。こっちも、テンションをあげて、坂を転がる話,子どもが老人に見える話,田んぼがつながっている話などで、応戦した。 

    野村誠さんがブログに書いている。理×新 
    http://d.hatena.ne.jp/makotonomura/20100511#p1 

    5月13日 
    19時から梅田のヒルトン・ウェストの13階にあるニコンギャラリーで、柴田れいこさんの展覧会と写真集「Sakura さくら」の記念パーティ。ブナとイウィンさんも一緒。梅田のこっちの方へ来るのは久しぶり。すけすけガラスの向こうをライトに照らされたエレベーターがすごい勢いで行き交っている。田舎暮らしに慣れたからだがざわざわ騒いでいる。嫌な感じではない。 

    柴田さんは,日本で暮らす外国人女性の写真を撮っていて,4年くらい前にイウィンさんを撮りに我が家へやって来た。雑魚寝で泊ってもらって,早朝の田んぼにイウィンさんと撮影に出かけた。それからしばらくして,黄金に輝く稲穂の前で曼珠沙華色のクバヤ(ジャワの伝統衣装)を着たイウィンさんの写真が送られて来た。とてもきれいに撮れていた。そして先日、立派な写真集が送られて来た。何十人もの外国人女性が民族衣装を来て,田んぼや神社や街角にたたずんだポートレイト集。 

    会場に入ると何人かのモデルになった外国人女性が来ていた。イウィンさんも声をかけられる。当たり前だが,みんな日本語でしゃべっている。ごちそうが出た後でイウィンさんに、「踊ったら?」と声をかけた。はじめは迷っていたが,気づけば自分で段取りをして,僕も引っ張り出された。ワイングラスで伴奏しながら、ジャワの歌を歌った。イウィンさんは、ワインを少し飲んでいたので,気持ちよく踊っていた。 

    5月14日 
    18時30分から大阪市大の高原記念館で、西純一さんの展覧会「ホワイト・バランス ― ある肖像」とトークとパーティがあった。イウィンさんとブナも一緒。夕暮れの大阪市大は、アメリカ製のグリーンのガラスがはまった巨大基地のような図書館とヤシの木がすくっと伸びた前庭がある古い2階建ての本部の建築が対照的。高原記念館は、ヤシの横にあるオシャレなギャラリー兼研究室。 

    西さんは,こころに病を抱えながら,森の中でひっそりと暮らしている。僕の家から歩いて行ける距離だ。山に暮らすようになって,お互い10年以上,なんとなく段々と親近感がわいている。去年,彼は中川真さんに100枚の自画像を描くように言われたそうだ。この春に、99枚描けたので,この展覧会になった。 

    会場に入ると,すでにトークが進んでいた。白いジャージに白いジャケットの西さんと中川真さん。「西さん,ほんとのこと話してますか?」と真さんが突っ込む。壁には,99枚の自画像。どれにも、眼鏡が描かれているが、表情はよくわからない。自画像の上に絵の具が流れ出たシリーズが続く。「自画像を描いてしまうと,もう描くことを止めることは出来ないんです。」「自分は甘えていたんです。弱いんです。」そのことを受け止めて行く過程。自画像は、すこし晴れやかになって行く。 

    僕も、即興ダンスをすると,もうこれは止めることはできない、と思う。ダンスが生きていること,生きていることがダンスになってしまう。 

    トーク終了後はパーティ。市大の近所にある韓国料理屋のオードブル。これがなかなかおいしかった。チヂミ、タコ酢、タケノコのピリ辛,フキの炊いたん、きずし、などなど。作った人の顔が思い浮かぶ料理だった。 
    西さんのウェブサイト 日記に展覧会の写真があります。 
    http://www.justmystage.com/home/2222/index.html 

    5月15日 
    いい天気,暑いくらい。千里万博記念公園で、ウドロウドロの集まり。イウィンさんとブナと出かける。母と妹も来る。1000人集めないといけないので,家族総動員である。スタッフも含めると30人くらい集まった。まずは楽器作りから。で、実際に40分間演奏してみる。前回に比べると,ひとり一人が出す音や動きに工夫をしたり,まわりの音を聞けている感じがした。参加してくれた神戸大学でコミュニティミュージックを研究していた三宅博子さんが、「はじめは、となりの人や前の自分の音との微妙な差異や相互作用に気がいくのだが、それを越えて数十分たつと、疲れ&若干の飽きとあいまって、それまでと異なる耳の次元でぼわーっと全体が聞こえる瞬間がくる。」という感想を日記に書いてくれた。僕の場合は,最後の3分がとてもいい具合になって,全体が混じるのを感じた。参加してくれた砂連尾さんもそう感じたようだった。 

    次回の集まりは、6月12日@千里万博記念公園みんぱくです。詳しくはチラシをご覧下さい。 
    ・ホームページ(チラシだけ) 
    http://www.1000ongaku.com/ 

    この日の様子は、you tubeで見られます。 
    http://www.youtube.com/watch?v=DTDluM-3F-g 
    http://www.youtube.com/watch?v=Lh03sQuPQwY 

    一旦、イウィンさんとブナを豊能へ送って,難波へ。精華小劇場で、平田オリザさんが劇場法について語るイベントがあったのだ。秋には可決される模様とのこと。課題はたくさんだが,劇場を芸術家の手に、というコンセプトには賛成だ。平田さんは、この件に関しては腹をくくっているそうだ。腹をくくってる芸術家にとっては、チャンスになるかもしれない。河内長野ラブリーホールの宮地さんたちと居酒屋へ。現場の難しさ,役場の無関心ぶりを聞く。 

    5月16日 
    奈良のたんぽぽの家の理事長、播磨靖夫さんが文部科学大臣芸術選奨を受賞したその記念のパーティが、ホテル日航奈良であった。僕は、オープニングでことほぎの舞を踊ることになっていた。ブナを豊中の実家へ預けて奈良へ。200人の立食パーティ、おなじみの顔があちらこちらに。奈良知事,奈良市長,大阪大学学長の鷲田清一さんの姿も。会場には、張りつめた空気が流れていた,その空気をゆっくりと吸い込んで、ゆったりと舞った。会場にいあわせる人たちと一緒に、いい空気を作り上げて行く,そんな感じ。気持ちよく舞えた。 

    わたぼうし音楽祭とエイブルアート・ムーブメント。アートを通じて、障がいある人たちに誇りと生きる勇気を与えた,あるいは、障がいある人たちのパワーで、アートに風を吹き込んだ,そんな功績が認められたのだろう。30年以上前から,ずっと戦って来た播磨さんとその戦友たちのパーティ。 

    2次会は,たんぽぽの家のギャラリーHANAの2階。手料理が並ぶ。モツァレラチーズとオリーブ油がかかったトマト,こんにゃくのピリ辛,大根サラダ,長芋がのったおにぎり、などなど。ホテルの食事もうまかったが,手料理が何より。みんな、お酒も進んでいる。1週間、パーティ三昧だったが,いつも車で移動なので,僕はお茶。家へ帰ってひとりで乾杯した。