今週から、アジア・コンテンポラリーダンス・フェスティバルが開かれている。
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2,3日前に、スタッフの横堀さんから電話がかかってきて、インドネシアダンサーのボランティア通訳を頼まれた。いろいろなダンサーに会えるので引き受けた。
2時すぎに到着すると、ロビーのカフェに人なつっこい笑顔が見えた。インドネシア人、しかも芸人であると一目で分かる。向こうも気配を察知したのだろう。目配せを交わし、近づいて話すと、10秒も経たないうちに、もうすっかりツレである。インドネシア人のこの馴染み能力をというのはものすごいものがある。
ジェコ・シオンポというジャワで聞いたことのない変わった名前だ。パプアの出身である。聞けば、パプアでも珍しい名前で、もしかしたら戦時中の日本兵の血が入っているかもしれないとのことだ。インドネシアの東部の島は、第二時大戦中、激戦地になったところも多い。
いつものクセで、「マス ジェコ」と呼ぶと、プッと吹き出した。マスというのは、ジャワ人の男性の呼ぶ時の呼称で、ジャカルタ生活の長い彼も、これには慣れないらしい。
「ジェッkジェッk」と呼んでくれと、頼まれた。なんだかポップな感じで、彼にぴったりだ。
今日は、彼の作品の打ち合わせを行った。自分で出演、脚本、監督したフィルムも上映される。センスのいい、ユーモアの効いた短編の作品である。
本番の公演が楽しみである。
ジェッkジェッkとロビーに座っていると、茶髪に真っ赤な四角い眼鏡をかけたおしゃれな若者がやってきた。ちょっとタイプは違うのだが、こちらも同じ気配が漂っている。今日は、インドネシア人はジェッkジェッkしか来ないはずなのだが、
「aku baru datang.....」
「俺、今来たばっかしやねんけど・・・・」
と、コテコテのインドネシア語(マレー語)を話し始めた。シンガポールから来たリズマン・プトラである。名前の通り、両親はジャワ島の出身だが、本人はシンガポール生まれである。言葉は、英語とインドネシア語の両刀遣いである。
そして、日が暮れた頃、タイのピチェ・クランチェンがやって来た。この仕事を引き受けた理由は、彼に会いたかったのが理由のひとつである。タイの古典舞踊の優秀なダンサーであり、自分の可能性を広げるべくあらたな表現にもチャレンジしている。とても穏やかで、そして優雅な雰囲気が漂っていた。
夜は彼のワークショップにもおじゃました。
今週末には、ジェコ・シオンポ(インドネシア)、リズマン・プトラ(シンガポール)、キム・ウォン(韓国)、ゆみ・うみうまれ+モイラ・フィニュケーン+ジャッキー・スミス(日本+オーストラリア)、山下残(日本)の公演がある。ピチェは、ワークショップの参加者と作品作りを行い、3月3,4日に公演を行う。
日本人でありながらジャワの古典舞踊をしている僕には、こんな風に民族や国籍を越えて、ダンスする人たちに出会えるのはとてもうれしいことである。
伝統と伝統を成り立たせるものに関して、ピチェともう少し話をしたいと思っている。
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