2012年12月28日金曜日

パプアのパサール (2007/02/22)

火曜日、ダンスボックスでジェコ・シオンポさん(ジェkジェk)のワークショップがあった。 

スタッフの横堀さんに頼まれて、ボランティア通訳をした。 

ジェコさんはパプア出身だ。パプアをというのは、インドネシアの一番東側パプアニューギニア島の西半分である。前は、イリアン・ジャヤと呼ばれていたところである。ジャワからは飛行機でも6時間かかる。同じインドネシアといえども、民族も文化も全く異なる。中央政府とは何かと政治的にも対立することも多い。 

パプアには、未だに現代文明を拒んだ先住民も住んでいる。ジェコさんによると、200以上も民族と言語があるそうである。彼はパプアのワメナ出身で、高校卒業後、ジャカルタの大学で舞踊を学んだ。パプアのプリミティブなパワーを持ったダンスとジャカルタで得た都会的な感覚が同居するところが彼のの魅力である。 

ワークショップの後半で、彼が面白い話を始めた。 

パプアのパサール(市場)は、とても静かだという。 

パサールといえば、物売り、物乞い、おばちゃん、おっさん、大道芸人など人が溢れ、ジョグジャでもジャカルタでも、黒門市場でも錦市場でも、とても賑やかだ。それが、パプアのパサールでは、喋っている人間がいないという。 

物売りは静かに座り、客はお金をスッと置き、サッと去っていく。会話は無し。値段などは、信頼関係で決まっているらしい。 

また、パサール以外でも、知り合い同士が道や森で出会うと、すれ違いざまに、わずかに立ち止まり、一瞬あって、スッと去っていく。言葉無し。会釈無し。目も見ない。 

テレパシーが交換される如くであるそうだ。 

また、外部のものが集落へやってくると、パプアの人間は、その人の目の前で、左右に走り回る。言葉無しである。外部の人は困惑するが、その意味は、歓迎。 

また、森を行く人は、木々をやさしく触ったり、なぜたり、叩いたりしていく。木と会話するそうだ。 

とにかく、言葉がいらない。感覚が開きまくっているのだろう。 


去年の夏、野村誠さんのイベントで碧水ホールや水口の城跡や森の中で、みんなで即興をして、音楽やダンスをした時のことを思い出した。 
回りの人、木、道、石、イス、子供、虫など、いろんなものと親和する感じがあった。 
草むらに入っていっても、観客のなかに入っていっても、柔らかくすり抜けていけそうな感じがして、実際、うまくすり抜けて行くことができた。 


そして、ジェコさんが話を続けた。 
東京や大阪や、ニューヨークでも、パサール(コンビニや店)は静かだ。パプアのパサールようだ。言葉無しで、人間が動いている。コンテンポラリーダンスのようだね。 

痛烈な批判である。 

銀月アパートでインタビュー (2007/02/20)

京都にある銀月アパートでインタビューを受けた。 

インタビューの依頼主は、明治安田生命である。 

2年前に、マルガサリとたんぽぽの家との共同制作で「さあトーマス」という舞台公演を行った。明治安田生命が主催する事業の一環だった。 

このプロジェクトは、エイブルアートプロジェクトと呼ばれ、毎年行われている。これまでになかった新しいアートの形を障害のある人たちと共に作り出すというプロジェクトだ。障害者とアート活動をするというと、慈善や福祉と勘違いされるのだが、そうではなく、目指すはあくまでも新しいアートである。 

その主催者である明治安田生命が、これまでの事業に関する冊子を作るに当たって、何人かの関わった人にインタビューをするようで、そのひとりに選んでもらった。 

インタビュアーは、かえるさんこと細馬宏通さん。 

かえるさんと気軽に呼んではいけない。大学の先生である。動物学(でしたっけ、先生?)や社会学がご専門なのだが、マルガサリの公演にも見に来て下さったり、昨年の桃太郎公演の後は、ラジオ沼というウェブ上のプライベートラジオで桃太郎について二日間に渡って、批評して下さった。そんな先生である。 

インタビューは、かえるさんの隠れ家である(隠れ家なので場所を明かさないほうがいいだろうか・・・)京都某所、京都造形大の近くにある(ほとんど分かるか・・・)銀月アパートで行われた。古いアパートでものすごく趣がある。 

約束の時間に到着すると、かえるさんの他に、冊子の編集者、助手、コーディネーター、カメラマンのなんと総勢5人が東京からやって来ていた。なんだか大変なことになっている。雑誌の取材のようだ。・・・つまり雑誌の取材なのである。 

細馬先生と2時間お話ができた。あっという間だった。「さあトーマス」「桃太郎」「ジャワ舞踊」について、僕が最近感じていることをいろいろと喋った。 

どんな記事が出来上がるのか、楽しみです。3月末頃にできるようです。 

パプアのダンサー (2007/02/14)

今日は、大阪のディープな町、新世界にあるフェスティバルゲートのダンスボックスへ行って来た。コンテンポラリーダンスのメッカである。僕は、2004年に舞踏の由良部正美さんとダルマブダヤと共に舞台を踏んだことがある。 

今週から、アジア・コンテンポラリーダンス・フェスティバルが開かれている。 
http://www.db-dancebox.org/ 

2,3日前に、スタッフの横堀さんから電話がかかってきて、インドネシアダンサーのボランティア通訳を頼まれた。いろいろなダンサーに会えるので引き受けた。 

2時すぎに到着すると、ロビーのカフェに人なつっこい笑顔が見えた。インドネシア人、しかも芸人であると一目で分かる。向こうも気配を察知したのだろう。目配せを交わし、近づいて話すと、10秒も経たないうちに、もうすっかりツレである。インドネシア人のこの馴染み能力をというのはものすごいものがある。 

ジェコ・シオンポというジャワで聞いたことのない変わった名前だ。パプアの出身である。聞けば、パプアでも珍しい名前で、もしかしたら戦時中の日本兵の血が入っているかもしれないとのことだ。インドネシアの東部の島は、第二時大戦中、激戦地になったところも多い。 
いつものクセで、「マス ジェコ」と呼ぶと、プッと吹き出した。マスというのは、ジャワ人の男性の呼ぶ時の呼称で、ジャカルタ生活の長い彼も、これには慣れないらしい。 
「ジェッkジェッk」と呼んでくれと、頼まれた。なんだかポップな感じで、彼にぴったりだ。 

今日は、彼の作品の打ち合わせを行った。自分で出演、脚本、監督したフィルムも上映される。センスのいい、ユーモアの効いた短編の作品である。 
本番の公演が楽しみである。 

ジェッkジェッkとロビーに座っていると、茶髪に真っ赤な四角い眼鏡をかけたおしゃれな若者がやってきた。ちょっとタイプは違うのだが、こちらも同じ気配が漂っている。今日は、インドネシア人はジェッkジェッkしか来ないはずなのだが、 
「aku baru datang.....」  
「俺、今来たばっかしやねんけど・・・・」 
と、コテコテのインドネシア語(マレー語)を話し始めた。シンガポールから来たリズマン・プトラである。名前の通り、両親はジャワ島の出身だが、本人はシンガポール生まれである。言葉は、英語とインドネシア語の両刀遣いである。 

そして、日が暮れた頃、タイのピチェ・クランチェンがやって来た。この仕事を引き受けた理由は、彼に会いたかったのが理由のひとつである。タイの古典舞踊の優秀なダンサーであり、自分の可能性を広げるべくあらたな表現にもチャレンジしている。とても穏やかで、そして優雅な雰囲気が漂っていた。 

夜は彼のワークショップにもおじゃました。 

今週末には、ジェコ・シオンポ(インドネシア)、リズマン・プトラ(シンガポール)、キム・ウォン(韓国)、ゆみ・うみうまれ+モイラ・フィニュケーン+ジャッキー・スミス(日本+オーストラリア)、山下残(日本)の公演がある。ピチェは、ワークショップの参加者と作品作りを行い、3月3,4日に公演を行う。 

日本人でありながらジャワの古典舞踊をしている僕には、こんな風に民族や国籍を越えて、ダンスする人たちに出会えるのはとてもうれしいことである。 

伝統と伝統を成り立たせるものに関して、ピチェともう少し話をしたいと思っている。

鈴木昭男さんがやってきた (2007/02/06)

先週の土曜日、スペース天に鈴木昭男さんがやって来た。 

3月25日に、マルガサリのコンサートが大阪のフェニックスホールである。その練習にやってきたのだ。ジャワの伝統曲2曲と3作の新作が初演される。3作品はそれぞれの作曲家にマルガサリが委嘱したものだ。 

鈴木昭男  戯山巫 ケザフォ 
三輪真弘  愛の讃歌  
ラハルジョ  Gempa 地震 

三者三様のユニークな作品でとても面白い。これらの作品がどう繋がっているのか、いないのか。僕自身は、大いに繋がっていると踏んでいる。これらの作品が作曲されるに際して、3人の作曲家といろいろな話をした。それぞれの作曲家が背景とする音楽は、全く異なっている。

鈴木さんは、60年代、前衛音楽が華やかな頃に登場し、その後、丹後の田舎へ移住し、「その前に座って耳を澄ます」ために、何年もかけて日干しレンガを作り、巨大な壁を子午線上に建設した。20年近く前の秋分の日、彼は日が昇ってから沈むまで、壁にもたれて座った。 

三輪さんは、ロックバンドからコンピュータ音楽へと渡り歩いた。その後、架空の宗教のための宗教音楽を作ったり、架空の民族を考え、その民族音楽を作ったりした。また、簡単なルール(演算)を元にゲームを行い、そこから音楽を作り出すこともしている。生物の進化の過程を辿るような音楽。 

ラハルジョさんは、ジョグジャカルタの音楽家の家系に生まれ、幼少の頃から伝統音楽の英才教育を受けた。弟が二人いて、ジョグジャでは有名な三兄弟である。アメリカへ留学し、いろんな体験をしたのだろう。帰国してからは、自分の新作をたくさん発表している。今回のテーマは、地震という極限状態で生み出された音楽。 


不思議と3人の作曲家共、パフォーマンスを伴った作品を作った。というか、その部分が僕の出番である。 


鈴木さんの「ケザフォ」の楽譜は、観客には示されないがエッセイで始まっている。鈴木さんが体験した音のまつわるエッセイ。客席を巻き込んだ儀礼のような、祭りのような音楽である。鈴木さんとともに体験した、バリ島のバトゥカル寺院での出来事が思い出される。1995年の暮れ、中川真さんたちと一緒に山の頂上近くの村で1週間を過ごした。舞踊家の和田淳子がトランスしたり、おじいさんに案内されてすばらしい景色を見たり、ワヤンの最中に森の中で不思議な音を聞いたり、ワヤンからの帰りの山道で巨大の流れ星を無数に見たり、という印象深い光景を思い出す。 
鈴木さんによると、「古代の人たちが持っていた力を呼び起こす」ような作品にしたいという。 

僕とイウィンさんが登場する場面も、その力が試される仕掛けが施されている。 

この作品の冒頭で鈴木さんは土笛を吹く。この土笛は、弥生時代の遺跡から出土したものを再現して、彼が野焼きして作ったものだ。中国地方から丹後までの各地で出土しているという。しかし、弥生時代のものなので、奏法が分からない。鈴木さんは、その土笛をああでもない、こうでもない、とさわりながら、また吹き口や孔の形を確かめながら、奏法を考え出した。やがて、これまでに考えられていた奏法とは全く異なる奏法を発見したのだ。その奏法はなるほど理にかなっており、何とも言えない味わい深い音がする。古代では、シャーマンが祭儀のために使っていたと考えられているそうだ。 


鈴木さんは我が家へ泊まり、ブナと一緒に寝てくれた。翌日は、家の前に出る朝市で買った野菜を朝食に採り、新大阪から北タンゴエクスプローラーで帰っていった。次は、2月の末にやってくる。

ギャラリーで自分の歌声が (2007/01/31)


昨日は、大阪南港のアジア太平洋トレードセンターであったインドネシア政府主催の催しのオープニングパーティに出演した。インドネシアの工芸品、主に装飾品を日本で紹介するというイベントだった。時折、このようなイベントへ呼ばれて踊ることがある。ジャワの舞踊をなるべく多くの方に見てもらうのも、重要な僕の役割だ。

南港からの帰り、肥後橋京町堀のAD&A galleryで行われている高嶺格さんの個展「 Baby Insa- Dong 」を見に行った。彼が在日韓国人2世の貴月さんと結婚する時に、マルガサリで祝福の演奏に出かけていって以来の縁になる。

ギャラリーに入ると、僕の歌声が聞こえてきた。近江の水郷で行われた結婚式の時に、彼ら二人が船に乗り、壕をぐるっと一週回ってきたのだけれど、その時にマルガサリのメンバー有志が橋の上で演奏した。数少ない楽器で、鄙びた感じのガムランにあわせて、僕が歌ったのだ。日本と韓国の晴れ着を着た二人が、気恥ずかしそうにしながらも、颯爽と船に乗る光景に、なぜかぴったりと合っていた。

今回の個展では、結婚式当日の様子の写真が展示され、写真の上下に、結婚に至る過程で生じた日本人と在日韓国人との間の軋轢が文章になって、日本語、ハングル、そして英語で書かれていた。写真と文章を見ながら進んでいくと、格闘する高嶺さんがあらたな思考を獲得していく様子がよく分かった。会場中に、のんきなガムランと僕の歌声が響いていた。

一周して戻ってくると、貴月さんとイウィンさんが雑談していた。入り口を入ってすぐのモニターには、臨月の貴月さんが陣痛に苦しむ様子が映像に撮られ、流れている。その前で、二人が熱心に話し合っていた。お互い子供が二歳で、話が合うんだろう。

僕と高嶺さんは共に1968年生まれで、互いに国際結婚をし、2歳の子供がいて、芸術を生業としている。不思議な縁を感じた。高嶺さんも僕も、私生活と芸術活動を分かち得ないとい点で、共通しているのかなぁ、と思った。数日前に、千里オールドタウンの日記で、着地地点も分からぬまま、自分の生い立ちを書き始めた。自分がどうして、今ここでジャワ舞踊をしているのかを考えてみたかったのだ。いくつもの渦や陽炎が立ち上り、簡単には分からない。この個展を見て、自分の中にまたいくつかの気泡が湧き上がったような気がする。


展覧会は、2月7日まで。13:00〜20:00(最終日18:00)
AD&A gallery
www.adanda.jp

お風呂で腕を浮かせてみれば (2007/01/27)

冬は浴槽にいっぱいお湯をためて、身体を沈めると、本当に気持ちがいい。最初は、熱さに緊張していた身体が次第に慣れて弛緩してくるのが分かる。リラックスして十分に暖まったら、腕の力を抜いて、お湯に浮かせてみよう。浮き上がってくる浮力が感じられる。結構、大きな力だ。 この腕をわずかに上下させてみる。波を起こしてみる。浮力を感じたまま、小さな力で動かしてみる。波が起これば、今度は波に乗ればいい。 結構、難しいと思う。どうしても、自分の力で動かしてしまう。しっかり暖まりながら、のぼせ上がらないように、何度かチャレンジしてみよう。 これも、波に共振する動きを感じる動きだ。うまくいけば、腕だけでなく、全身が波に揺られ始めるだろう。

たんぽぽの家ワークショップ (2007/01/27)

千里オールドタウンも続きますが。。。。 

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去年の6月から、「たんぽぽの家」にガムランと舞踊のワークショップへ出かけている。「たんぽぽの家」は、障害のある人たちのアート活動を支援している通所授産施設で、エイブルアート・プロジェクトの「さあトーマス」以来のつきあいになる。「さあトーマス」では、障害ある人たちとのコラボが中心だったのだが、スタッフの人たちもガムランや舞踊をやりたいということで、この夜のワークショップが始まった。 

このワークショップで、僕はジャワ舞踊だけではなく、僕がジャワ舞踊から得たいろんな身体表現を掘り起こして、みんなでチャレンジしてみることを目指している。スタッフの人たちはダンサーではないけれど、障害者アートに関わっているので、みな高感度の人たちだ。障害者のアートに携わるということは、アンテナを張り巡らせて、障害者のみんなが作り出すカオスの中に、例えばだが、思いっきりのいい線、繊細な色、不思議な形、生き生きとした動きなどを拾い上げることが必要になる。僕が発見する身体表現の動きも、日常の些細な動きの中に潜んでいるので、観察力や耳を澄ますこと、目を凝らすことが必要となる。 

この半年間で、いろいろな動きにチャレンジした。 
去年の最後にやったのは、1リットルや1.5リットルのペットボトルに水を半分入れて、ゆっくりと揺らしてみる試み。 

今年の最初のワークショップでは、ゆっくりとごろごろ転がってみた。 

*真っ直ぐ仰向けに横になって寝る。身体を伸ばしたまま、なるべくバタンとならないように身体を回転させていく。うつぶせになったら、また仰向けに戻ってくる。 

  結構ヘトヘトになる。全身運動だ。身体の重心を感じることができる。 

*今度は、実際に寝るようにリラックスして寝ころぶ。斜めになってもいいし、うつぶせでもいい。自分がいつも寝ているように、寝ころぶ。そこから、寝返りを打つようにゆっくりと回転していく。なるべくスムーズに、気持ちよく。 

  身体をスムーズに動かす。身体のパーツとパーツの関連を意識することができる。 

*やや難しいが、手をつかずに、ゆっくりとでんぐり返りをする。また、後転する。なるべく、身体の1点が床に着くようにして回るとうまく回れる。 

  これも、身体の重心を感じる練習になるだろう。 

こんな感じで、ワークショップをやっています。興味のある方は、参加できると思いますので、ご連絡下さい。 

ペットボトルの回のことは、ブログにも書いたので引用しておきます。 

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ペットボトル 
1リットルか、1.5リットルのペットボトル(500ミリリットルでも分かるが、少しコツがいる)で飲み物を飲んでいる時、半分ほど飲んでペットボトルを横にして、両手で持ってみる。両手でお盆を運ぶ感じ。軽く、ほんの軽く左右に揺すってみる。急ぎすぎないように、ゆっくりと。 

タップン タップン 

と水音がすれば、しめたもの。この水音をキープする。 

タップン タップン タップン タップン タップン タップン タップン タップン 

同じテンポで、同じ音がするようにキープする。結構難しい。自分で動かすのではなく、水の力を感じる。手、腕、肩をしっかりリラックスさせる。水の力=重みを感じることができるだろう。水の重みに振られる感じだ。何もしないと、やがてペットボトルの中の水は揺れをやめるだろう。揺れが止まらないように、重みに揺られながら、わずかに勢いをつけてやる。 

何のことはない。子供のブランコを押してやるのと同じ要領だ。子供がなるべく自分の力でブランコを押せるようになるためには、親は最低限の力で押したほうがいい。子供とブランコと一体化して、共振する。共振することは、ダンスにとって重要なことだと思う。