2013年5月1日水曜日

IWIN's INDONESIAN DANCE WORKSHOP vol.1 終了 (30/04/2013)


2014年4月30日
IWIN's INDONESIAN DANCE WORKSHOP vol.1 終了。
エンターテインメントと儀式のダンス、振り付けと即興のダンス、意味、物語、感情とダンス、といったお話もしながら。

この舞踊は、とてもシンプル、ほとんど歩くだけ。こういうのを見ると、イウィンさんの良さがわかります。背骨と肩、腰の使い方、その上にのっかる首傾き、手や腕のしなやかさなど。ダンスのこどもっていうのか、動き出した瞬間にダンスがあらわれる。このシリーズも続けていくつもりです。

2013年4月18日木曜日

宣伝 IWIN's INDONESIAN DANCE WORKSHOP vol.1

過去日記のアップを中断して、ワークショップの宣伝です。

・・・ ・・・

留学して最初の学期、ジャワ舞踊ジョグジャ様式、ソロ様式、スンダ舞踊、バリ舞踊の授業を受けた。どんどん試験があるので覚えるのが大変。バリ舞踊の試験の時、ターンして振り返った女の子が舌をペロリと出した。すこし間違った照れ隠しと、ちょっと怖い教官をおちょくったのだ。学生はニヤニヤ。

ジャワ舞踊は、表情を消して、どちらかというとリズムもからだに押し込めて滑るように淡々と踊ります。でも、その後ろにインドネシア人のペロリも隠れてます。
ということで、宣伝。

IWIN's INDONESIAN DANCE WORKSHOP VOL.1



ダンスの宝庫インドネシアのさまざまなダンスを素材にからだをうごかすシリーズです。今回は、ジャカルタに伝わるブタウィ舞踊を取り上げます。ジャワ舞踊、バリ舞踊とはひと味異なったコケティッシュな振り付けが魅力的です。

講師:佐久間ウィヤンタリ
幼少の頃からダンスに囲まれた環境で育つ。インドネシア芸術大学では、インドネシアのさまざまなダンスやコレオグラフィを学ぶ。ジョグジャ州創作舞踊演劇祭で最優秀コレオグラフィ賞、最優秀コスチューム賞を受賞。結婚後は日本で後進の育成に努め、インドネシア政府より功労賞を受賞する。

日時:2013年4月30日(火) 19:00〜22:00
場所:るりホール 
  (阪急宝塚線岡町駅下車すぐ 原田神社正面藤井ふとん店2階
費用:1,500円
申し込み/お問い合わせ:電子メールか、コメントか、メッセージを送ってください。




kasakuman@gmail.com
(定員10名・先着順です。)

2013年4月8日月曜日

15年目の集まり (2010/01/19)

1月16日 
ISI(インドネシア芸術大学)のヘルサパンディ先生とスリ・ヘンダルト先生が我が家へ泊りにきた。お二人とも政府のプログラムで日本へ調査に来られた。この日は,マルガサリの練習にきて,そのまま我が家へ。とても寒いので、電気カーペットの上に布団を敷いて寝てもらった。 

1月17日 
6時頃から,となりでモゾモゾ聞こえる。起きていくと先生たちが震えていた。電気カーペットが6時間タイマーで切れたのだ。説明したんだけど,忘れてしまったようだ。ストーブをつけて,ジャワティで暖をとる。僕は、もう一眠り。もう一度起きて,家の前に出る朝市へ。寒い。この日は夜に集まりがあって,豚汁を作ることになっていたので,材料を購入。大根,人参,特大ごぼう,ネギ,里芋,椎茸,近所のおばあさんが作っている味噌と漬け物。ついでに餅も買った。後,厚揚げも買いたかったので,近所のたまご屋さんへ行くために,車に乗った。温度計はマイナス4度。9時前なのに・・・。たまご屋さんには、たまご以外にも,鶏肉や地元野菜などが売られている。しめじと厚揚げを購入。家へ戻って,ストーブで餅を焼いて食べる。ジャワの先生たちは家の中なのに毛糸の帽子をかぶっている。キャンプみたいで楽しい。朝食後,先生たちを大阪市大のゲストハウスまで送って行く。 

15時、六甲アイランドにある神戸ベイシェラトンへ。3月に、ホテルとインドネシア領事館の共催で,ジャワの結婚式をテーマにしたパーティをするので、その打ち合わせ。3月13日(土)の昼間にランチパーティ。詳細が決まれば,またお知らせします。 

17時,三宮から南へ下ったフェリーターミナルにあるQ2へ。神戸の震災を契機として生まれたグループ、アクト・コウベの集まり。マルセイユのベーシスト、バール・フィリップさんが神戸のニュースを見て,義援金集め、困っているであろう神戸の芸術家にカンパを持って来た。そのことをきっかけにして生まれたアートに関わる人たちのグループ。僕とイウィンさんも2000年から参加している。最近は、ほとんど活動を起こっていないが,15年を記念して久々に集まった。 

僕が届けておいた野菜は,すでに下準備が終わっていた。料理やお酒を持ち寄ってのパーティになった。バールが呼びかけて出来たアクト・コウベ・フランスのメンバーのアラン・パパローンさんがスカイプでつながっていたので、豚汁の匂いを味わってもらった・・・。ひとしきり料理を食べた後,HIROSさんが何かすっぺか、佐久間君、といって石笛を吹き出した。ボウォボウォと炎のような低い音が鳴りはじめた。僕ものっそりと動き始めた。僕の左手でも,誰かが踊りに加わった。ヤンジャさんだった。3人で,結構長く、パフォーマンスをした。 


1995年1月17日のことも思い出した。 
20代半ばだった僕は,5年半通った大学をやめて,バイク便で働きながら留学の資金をためていた。連休明けのその朝,家は結構揺れたが,大阪市北区にあった事務所へバイクで出勤した。次次と被害が伝わるニュースを聞きながらも仕事をしていた。夕方になると,神戸の病院へパンと水を運んでほしいという要請が入った。何台かのバイクを連ねて,夕方、長田にあった鐘紡病院へ向かった。すごい風景だった。それから半年間,大阪ガスとか関西電力とかいろんな関係の荷物を運ぶために,毎日何度も神戸と大阪を往復した。その年の8月、ジャワ留学へ旅立つ直前まで,そんな日が続いた。 


1月18日 
朝から,大阪芸大へ。木曜日にある七ツ矢博資先生の退官記念コンサートのリハーサルがあった。ガムランの曲も書いている作曲の先生。コンサートは、無料で一般公開されているとのことなので,情報を書いておきます。 

日時:1月22日(木) 13時20分~14時50分 
会場:大阪芸術大学 3号館ホール 
お問い合わせ:大阪芸術大学音楽学科 担当:檜垣智也、谷垣麻貴 
       0721-93-3781(内線:3435) 

レクチュア 「20世紀初頭のある断面~和声における色彩と機能」ードビュッシーとシェーンベルク 
コンサート  
1 「に・じ・む」~独奏サイバー尺八のための~ 
   サイバー尺八:志村禅保 コンピュータ・プログラミング/音響技術:加登匡敏 
2 「すれ合う伝統~ピアノ,ガムラン楽器と2人のだんさーのための~ 
   ピアノ:加納くみ子 ガムラン楽器:細田真平 バレエダンサー:松島あい ガムランダンサー:佐久間新 

よろしければぜひ。鬼になって踊ります。

中国の新聞に載った。 (2010/01/15)





1月15日 
朝から大阪芸大に行ってきた。作曲家の七つ矢博資先生の退官記念コンサートのリハがあった。「すれ合う伝統」という曲で,僕が踊るのは今回が3回目。ピアノ以外は,毎回編成が微妙に異なる。今回は,ピアノとガムラン(クンダン,ボナン,クンプール)という編成。舞踊は,バレエダンサーの松島あいさんと僕。大阪芸大60周年記念コンサート以来の再演。コンサートは,21日に大阪芸大の3号ホールで13時から。一般公開はされているのかな?もし、来たい方がいれば,コメントいただけますでしょうか。 

先日,福岡の工房まるの代表、吉田さんからメールが来た。12月に、奈良のたんぽぽの家のメンバーと福岡の工房まるのメンバーと上海へ行った時のことが中国の新聞に載ったとのこと。実は、吉田さんの実家は豊能町内にあり,山は隔ているけれど,同じ町内。正月に帰省された際,吉田さんとお姉さんの家族と我が家の3人の総勢8人で近くの温泉に行ったのだ。 

記事はウェブ上に。 

http://xmwb.xinmin.cn/xmwb/html/2009-12/14/content_441180.htm 

昨日,たんぽぽの家の岡部さんから,この時に様子の写真が届いた。みんないい顔をしている。初対面ですこしずつなごんでいく感じがいい。ダンスが生まれる瞬間だ。 

新聞記事には,残念ながら,あまりダンスに関する記述はない。中国語は出来ないけど、想像を膨らませると何となく分かる。面白いのでちょっと書き出してみよう。 

手挽手起舞 心贴心交流 
手と手を取り合って,心と心の交流 (まあ、そんなところかな?) 

中日残疾人艺术交流论坛在沪举行 
中日 (向こうではこうなるけど 日中のことでしょう) 残疾人 (これは、障碍者のらしいです) 艺术 (字が簡単になって芸術) 交流论坛在沪举行 (そこで交流があったと)

まとめると 
日中の障碍者による芸術交流会があった。 

12月9日,“迎世博――‘2009大家的艺术’中日残疾人艺术交流论坛”在上海举行。来自本市各区的残疾人代表近100人出席了论坛。 
迎世博 (これは万博でしょうね) 大家的艺术 (これでART FOR ALLらしいです) 上海举行 (上海であったと) 来自本市各区的残疾人代表近100人出席了论坛 (各地から代表が100人近く参加した) 

まとめると 
12月9日 万博のウェルカムイベント「2009 ART FOR ALL 日中障碍者芸術交流」が上海で開催され、市内各地から100人近い障碍者の代表が出席した。 

12月10日,日本残疾人代表团访问了徐汇区纪勋初等职业技术学校,与学校的残疾学生交流。操场上,中日残疾朋友手挽手翩翩起舞;教室里,两国残疾朋友肩并肩挥笔作画。中午时分,日本友人津津有味地品尝了纪勋初职学生们精心制作的匹萨、酥饼和馄饨。日本代表团成员山野将志说:“来到上海太开心了!明年世博会期间,我一定再来。” 

访问了徐汇区纪勋初等职业技术学校 (なんとか区にある紀勲初等職業技術学校を訪問) 与学校的残疾学生交流 (学校で障碍者の学生と交流) 操场上,中日残疾朋友手挽手翩翩起舞 (運動場で、違うかな? 日中の障碍者が友達になって,手を取り合ってヒラヒラ舞った) 教室里 (教室では) 两国残疾朋友肩并肩挥笔作画 (両国の障碍者の友達が肩を並べて、筆で絵を描いた) 中午时分 (お昼には) 日本友人津津有味地品尝了 (ここはちょっと難しい 日本の友達が地元の味を堪能した) 纪勋初职学生们精心制作的匹萨 (ここの学生が心を込めて作った) 酥饼和馄饨 (僕らが食べたのはピザとワンタンだったが、これはどっち?うどんみたいな字だな) 日本代表团成员山野将志说 (日本代表の山野君が言った) 来到上海太开心了! (上海へ来られて楽しいよ!) 明年世博会期间,我一定再来 (来年の万博の期間中に,もう一度来たい)  

まとめると 
12月10日 日本の障碍者代表団がなんとか区にある紀勲初等職業技術学校を訪問。学校で障碍者と交流、運動場で、日中の障碍者が友達になって,手を取り合ってヒラヒラ舞った。教室では、両国の障碍者の友達が肩を並べて、筆で絵を描いた。お昼には、日本の友達が地元の味を堪能した。紀勲初等職業技術の学生が心を込めて作ったピザとワンタンを食べた。日本代表の山野君が言った。上海へ来られて楽しいよ!来年の万博の期間中に,もう一度来たい。 

まあ、ちょっと間違っているだろうけど,大筋はこんなところだろう。自分で体験したことだからね。

幸弘マジック (2010/01/12)


1月9日 

I-Picnicのメンバーでイタリア美術が専門の野村幸弘さんが主催する岐阜大学芸術フォーラムへ出かける。お弁当を作って,11時前に出発。京都東まで地道で走って,高速に乗る。彦根あたりから 雪景色になってきた。伊吹山のSAで休憩。雪がたくさん積もっていたので,ブナと雪合戦。今年は、我が家の周りには、まだ雪がつもらないので,ブナは大喜び。雪に手を付けての我慢比べは,二人とも意地を張り合って,30秒。手の色が変わってしまう。冷たい冷たい。関ヶ原で高速を下りて,21号線を走って,岐阜市内を目指す。 

少し迷ったが,なんとかアトリエ幻想工房に到着。古いビル丸ごとがアトリエ。1階には,美術作家としての幸弘さんの作品がたくさん。絵やインスタレーション。屋上からは,金華山にある岐阜城がよく見えた。近所の屋根の上には雪が残っていた。14時からフォーラムがゆるゆると始まる。だんだんと人が集まりながら,朝方まで続くのだ。幸弘さんからのお知らせメールによると, 

岐阜大学芸術フォーラムは、2001年4月から始まり、途中、2003年、主催者野村幸弘のイタリア滞在により、1年の中断をはさみましたが、今年で10年目を迎えます。そして今年7月には、第100回記念を控えています。今年もどうか岐阜大学芸術フォーラムをよろしくお願いいたします。 さて、第94回岐阜大学芸術フォーラムは、明日1月9日(土)午後2時より、アトリエ幻想工房(岐阜市八ツ梅町2-17)にて開催します。 

ということなのだ。前々から誘われていたのだけど,土曜日はマルガサリの練習があって、なかなか抜け出せなくて、今回はじめて出席できたのだった。岐阜大学の河川とか神社とかが専門の先生、通学中の子供がどこにいるかが分かるシステムを作っている先生、コピーライター,イベントプロデューサー,市役所職員で町おこしイベント企画の人といったところが最初の方の参加者だった。途中からガバッと参加者が増えてきた。おいしい野菜を持ってきてくれた人がいて、豚汁を作るというので,料理部隊に加わった。僕は,厨房作業が好きなのだ。 

音響の専門家とその友人,ドイツ哲学家,書道家とその子供とその夫のパナソニックの研究員、即興パフォーマー、ジャンベ叩き,幸弘さんの元教え子,コミュニケーション音楽家とその友人も夜になってやってきた。豚汁と野菜スティックサラダ,きな粉もち、甘酒などを次々と作っていった。僕は,車なので飲めなかったが,イウィンさんは甘酒を3杯もお代わりしていた。ブナは子供がいたこともあって,大喜びだった。 

フォーラムは、その回によって,内容が違うそうだが,今回は食べながら,参加者がめいめいに好きな相手と好きな話題を話すという、簡単に言うと宴会そのものだった。これが、10年100回も続いているのだ。恐るべし幸弘マジックである。本人は,料理を振る舞うわけでもなく,シャンペンを片手に,こたつの近くでゴロゴロしているだけなのだ。幸弘さんのこのリラックス能力は、去年のI-Picnicツアーでも話題になっていたのだ。 

この日,唯一決まっていたのは,去年のI-Picnicのハンガリー~オーストリア編のDVDが一部完成したので,それを上映することだった。残念ながら,僕は翌日午前中から,インドネシア語の授業があるので、帰らなければならなかった。22時頃、帰ろうかと立ち上がるとなんとなく踊る雰囲気になり,そこから即興ダンスが始まった。参加メンバーの各自が音を出したり,叫んだり,動いたり,子供たちも大活躍した。いい感じの即興になった。 

家に帰って,DVDを見た。ハンガリーの子供たちとのダンス,ドナウの川辺でのダンス,オーストリアの音楽学校でのワークショップ,野外での集団即興,教会のでコンサートといったラインナップ。クレムスのは未完成だった。 

STAMPOK PARK 

BY THE DANUBE 

The Workshop in Perchtoldsdorf 

Impro-Garden 

The Consert in Spitals Kirche 

どれも見応えがあった。一昨年は,浅草のアサヒアートスクエアで,上映会をした。今年も,I-Picnicの上映会をしたいなあ。そして、幸弘さんとは,共同でダンス作品を作ることも計画中なのだ。

    さっくん! (2010/01/05)

    1月2日 
    高校の同窓会があった。高校を卒業してはじめての学年全体の同窓会。1987年に卒業して以来だから23年ぶり。担任だった藤上サンの退官記念パーティ,クラスの友人との小規模な集まり,僕の留学壮行会、同級生の近持クンや岩崎クンが亡くなった時の集まりなんかがあり,時々顔をあわす友人もいた。3年くらい前から,もうちょっとみんなで集まりたいね,という話が広がりはじめた。正月やゴールデンウィークに、帰省した友人を呼び出して,5人から15人くらいで集まって,何度か飲んだ。 

    高校時代はハニカミ屋だった別所クンが20年経っておしゃべりに変身していた。仲が良かった僕は,高校1年からその素質は見抜いていたけど・・・。彼が,大同窓会の幹事役を買って出た。ラグビー部の別所クンとサッカー部の武田クンが中心となって、各クラスのとりまとめ役を選んで,何度かミーティングを開き,呼びかけの招待状を送った。結果,なんと卒業生の半分近い240名から出席したいと返信があった。担任の先生も12人中9人が参加してくれることになった。 

    16時30分、阪急豊中駅近くにあるホテルアイボリーに到着。目が合った瞬間,23年前の記憶が一気によみがえってくる顔もあれば,しばらく経って,23年分の人生の襞を少しずつかき分けながらようやく高校時代と今とが結びつく顔もあった。それでも、みんなそれぞれの人生を刻んだいい顔になっていた。ロビーには,顔が分かっても,どんなトーンでしゃべったらいいのか、あだ名で読んだらいいのか,呼び捨てにしてもいいんだろうか、という微妙なとまどいの空気も流れていた。でも、同じクラブだったラグビー部の連中の顔が見えると,僕は理屈無しに思わずお腹にパンチを入れてしまった。肉体の記憶。スクラムハーフだった田口クンがおでこに手を当てて、「佐久間は,こっから下は全然変わってないなぁ。」とニヤニヤした。彼は、やたらにフサフサだった。横にいたのは,ナンバーエイトのまっちゃんか?!まっちゃんは、僕と一緒のサビイシイ系グループ。 

    僕は,踊ることになっていたので,控え室で準備をした。パーティは17時に始まった。シンディ・ローパーのタイム・アフター・タイムから始まって,プリンス,デュラン・デュラン、ワムの曲が続いた。80年代半ばは,洋楽全盛時代だったのだ。選曲は軽音楽部の山本クン。司会はサッカー部の武田クン。同級生の前で踊るのは、いつもとは違う緊張感だ。うーん、緊張とは少し違う,何か覚悟のようなものが必要だ。いろいろなことを見透かされている人たちの前で踊る覚悟。みんなそれぞれの23年間を生きてきて,社会や家庭でそれなりに大切な役割を担っているのだろう。その彼らの前で,自分がどんなダンスを磨いてきたのか,それが試されるようだった。とにかく、ほとんどの同級生は,僕がよもやダンサーになっているとは、知らなかったのだから・・・。 

    17時45分,笠原純子さんのピアノが始まった。ヨーロッパで賞を取ったり,世界的に活躍しているようだ。彼女のピアノの音を聞きながら,ゆっくりと味わいながら,舞台袖で,衣装を整えた。いい時間だった。会場は少しざわついていたが,ピアノの音は次第にうねりになって,響きはじめた。続いて,ガムランの前奏が始まると,僕は袖からスッと舞台へと上がった。なんと!200人が舞台を取り囲んでいて、最前列には、ラグビー部の連中が座り込んで並んでいた。高ぶる気持ちを抑え、ジャワ舞踊の世界,自分の世界へと下りていった。自分を消して舞踊自体になることとそれでも残る自分自身とをせめぎあわせながら,その交差するエッジを綱渡りして踊った。みんなが見つめる空気を感じて,楽しんで,それを揺るがし,切り裂きながら踊った。 

    僕らの高校は文化祭が盛んだった。どのクラスも競い合って演劇や映画を作ったし,軽音楽部のライブも窒息寸前の視聴覚室で大いに盛り上がった。僕らのクラスは、1年の時は映画,2,3年では演劇をやった。2,3年と,僕は、女子にメイクをしてもらい,衣装を着て舞台に立った。その時と今とは、つながっているのか、いないのか。見ているみんなも、それぞれの記憶をよみがえらせていたかもしれなかった。ダンスの後,何人もが声をかけてくれた。20代や30代ではなく,40代になった今,届くメッセージというのがあるのかもしれない。 

    2次会も,引き続き同じ会場だった。170名が残った。この日,僕はひそかな希望を持っていた。僕は,小学校6年の途中で引っ越し,同じ市内の別の校区の中学校へ行った。高校へ入ると,小学校の時の友達も見かけた。しかし、なぜかしゃべりかけることが出来なかった。中学の3年間で出来た自分の伸びシロの差異が,小学生のもっと無邪気で純真だった自分を知っている友達と話すことを邪魔していたのかもしれない。15歳の自意識は,垂直にどこまでも伸びて,自らを不自由にしていた。今日だったら,「あの頃は,なんとくしゃべりにくかったよなぁ。」と話しかけられそうな気がしていたのだ。 

    隣のテーブルに、ててサンの顔を発見した。後藤田さん。ててと呼ばれていた。ハニカミ屋だった僕は,女子をあだ名では読んでいなかったような気もするが、今だったら,「ててサン!」と呼びかけられる気がしていた。テーブルへ近づいて行くと, 

    「あっ、さっくん!!さっくん、久しぶりやな。」 

    と、ててサンから声をかけてきた。そうや、僕はさっくんと呼ばれていた。ててサンは、「さっくん、さっくん!」と連発した。ててサンと僕は、同じ仲良しグループで,交換日記もしていた。「さっくんは、お母さんに見られるのがいやで,トイレで書いてたんやで。」と言った。僕は,そんなことは覚えていないけど,交換日記のことはよく覚えている。小学校以来だから,ほぼ30年ぶり。浅井さん,河合クン、坂和サンともしゃべったり,写真を撮ったり。「さっくんって、おかっぱの長髪で、運動神経の固まりって感じで,でもちょっと悪かったよな。」ふーん、そんなイメージが残っているんだ・・・。 

    翌々日来たててサンからのメールによると、どうやら彼女は,高校時代に僕としゃべっていなかったのを忘れていたらしい。小学校の時のイメージがものすごく強く残っていたから、全然違和感無く「さっくん、さっくん。」と呼びかけられたそうだ。 

    3次会は、駅前の居酒屋。最後は,20人くらいになった。高校1年の時に,同じ文化委員で一緒に映画を作った上畑さんは、実にいろんなことを覚えている。やっぱり翌々日に来た彼女からのメールによると, 

    文化祭の打ち上げの中華料理店で、回転テーブルをいきおいよくまわしてしまい、醤油がこぼれ、「おまえ、はしゃぎすぎ!」と佐久間くんに叱られたこととか。(笑) 

    っていうことがあったらしい。僕は結構昔のことを覚えている方だが,この記憶は無い。同じ時を過ごしたみんなが、それぞれに記憶に留めていることがある。久々に出会って、みんなの記憶の中のいる自分に出会うのは楽しいことだ。三周目の20年に入った今,ちょっと立ち止まって自分の歩いてきた道を眺めて,これからの道を進み始めるのも悪くないと思っている。30年前には,トイレで日記を書いていたのに,今ではこんな公開日記を書いている。年を取るって,すごいなぁ。

    ウサギからネコへ (2009/12/25)




    12月25日 

    メリークリスマス。太陽も力を回復しつつあります。 

    昨日は,梅田へクリスマスプレゼントを探しに行った。中津辺りに車を停めて,歩いて梅田方面へ。ロフトに入った。いつ以来だろう?あっそうそう,来年のスケジュール帳を買わねば・・・。懐かしい絵が、目に飛び込んできた「子猫のピッチ」。子供の頃に一番お気に入りだった絵本。迷わず買ってしまった。去年のは,ブルーナのウサギだったので,ウサギから猫へバトンタッチ。イケナイイケナイ、今日の目的は,クリスマスプレゼント。道路をわたって、阪急三番街辺りをウロウロ。 

    去年のクリスマスプレゼントは,小桜インコだった。家へ置いておくとバレるので,鳥かご抱えての1日で大変だった。京都の舞踊教室では,鳥かごを置いてのレッスンになった。今年は何にしようかと迷ったが、最近、ブナは宇宙と恐竜に興味が出てきたので,その方面で探すことにしていた。結局,加古里子の「宇宙」の絵本,恐竜の図鑑,世界の国旗のカルタ、ラキュウという小さなブロックという組み合わせにした。 

    一度,牧の自宅へ帰って,イウィンさんとインコのパリノとブナを保育所へ迎えにいき,豊中の実家へ。上がっていくと,部屋はロウソクの明かりだけになっていた。ばあさんが気合いを入れて,鳥の丸焼きを焼いていた。ブナはサンタの衣装に着替えて,じいさんとばあさんからプレゼントをもらった。目覚まし時計と谷川俊太郎の「ともだち」という絵本。ケーキを食べて,ごちそうを食べて,牧の家に帰った。オリオン座が瞬いている。ブナは車で寝てしまったので,だっこして、ベッドに運んだ。プレゼントをセットして,僕も寝た。後何回,サンタになれるのだろう。