2012年12月21日金曜日
東大寺のカラス (2006/12/02)
金曜日は引き続き、奈良まちづくりセンターとアチェ・ヘリテージ・コミュニティ財団の人たちと春日大社、東大寺、興福地界隈を散策した。奈良観光の直球ど真ん中3球である。この日は、年に数日しかないだろう、一日中雲ひとつ無い完璧な晴天であった。秋のピシッと引き締まった空気の中、一日ゆっくりと歩いた。アチェからのひとりが車椅子だったので、本当に行きつ戻りつ、ゆっくりと歩いた。
長い松林の参道を抜けると、春日大社の朱色とモミジの赤が競っている。小高い二月堂に昇れば、町が一望され、東大寺の屋根が一際の存在感を放っている。しっかりと握ったおにぎりのように、柔らかさと堅さが同居した大屋根の、その棟の端には金の矛が乗っている。大昔の長靴のような形だ。何という名前だったか・・・よく見ると、金の周りに黒い点が舞っている。
カラスだ。
何十羽ものカラスが舞っている。大概はペアになって、長靴からスッと飛び上がると、強風にあおられる。旋回して、急降下。再び、キーンと上昇し、パラシュートが着地する時のようにフワッと浮き上がって、ペアは長靴に舞い戻る。
風で遊んでいるのだ。
羽で気持ちよく、風を切っているのだろう。
快晴の青空、瓦とカラスの漆黒、長靴と銀杏の黄金。
「うーん。」うなってしまう。
二月堂からフワッと飛び立って、踊りそうになってしまう。
土曜日はセミナーが開かれた。アチェ・ヘリテージ・コミュニティ財団のイェニーさん、そして、奈良まちづくりセンターのメンバーでもある国土交通省の小林さんとJAICAの上嶋さんの3名がプレゼンテーションを行った。イェニーさんはアチェにおける文化財の復興について、小林さんはアチェの被害状況と各NGOの仮設住宅の構造などについて、上嶋さんはタイのチェンマイの洪水対策について、それぞれ発表した。
その小林さんである。面白い人である。昼食を取りながら、打ち合わせをした。インドネシア語をペラペラ喋る。やや長髪で、眼光鋭く、口髭を蓄え、なんとパイプをくわえている。聞けば、国連の救援チームの隊長として、東チモールへ赴任したり、津波の後はアチェで、被害を受けた家屋の調査を行っているという。最近は東ジャワで、集合住宅を建てる時に発生する二酸化炭素量の発展途上国モデルを実験して、計算しているという。インドネシアの各地を周り、現地の最前線で仕事をしている人の風格が漂っている。
セミナーの後、打ち上げが奈良町の「まんぎょく」という和風料理屋で開かれた。古い民家を生かした感じのいい店である。ひとしきり食べた後、小林さんが黒いカバンを取り出した。東京から来ていた小林さんは右手にラップトップを入れた黒いカバン、左手には長細い、やはり黒いカバンを提げていて、僕も中身が何なのか気になっていたのだ。
出てきたのは、バイオリンだった。
「インドネシア人に習った曲だ。」と、一曲弾き始めた。懐かしい70年代歌謡のメロディだ。何曲か弾いて、
「佐久間さん、どう?何か踊る。」
と来た。
こう言われては・・・靴ひもを緩めて裸足になり、上着を脱いだ。
そもそも僕が踊りを始めた理由のひとつは、火を囲んで、酒を飲んで、誘われたら、なにか芸ぐらいできないと、つまらないなぁ、と思ったからでもある。
小林さんはおもむろに、バッハの無伴奏曲を弾き始めた。僕はゆっくりと息を整え、手を空気の流れに添わせた。
気持ちのいい時間だった。小林さんはインドネシアのマランに特別な友人がいるという。
「Sampai jumpa lagi di Malang ! マランでまた会おう!」
と言って、分かれた。
考えれば、店の人には随分と、迷惑な客だっただろう。
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