2012年12月28日金曜日

千里オールドタウン パート1 (2007/01/20)

少し前のことになるが、去年の12月、僕の38回目の誕生日に、イウィンさんとブナと3人で、僕が生まれ育った町を見に行った。 

僕は、1968年12月18日昼過ぎ、大阪市淀川区のキリスト教病院で生まれた。吹田で大阪万博が開かれる少し前である。それを更にさかのぼって1960年前後、大阪府は、戦後の経済成長に伴う、住宅難対策として、大阪北部、千里の丘陵地帯にニュータウンを建設する計画を建てていた。その後、万博の誘致にも成功し、吹田市と豊中市とにまたがる千里丘陵は、竹藪を切り開いて、大開発が行われた。みんなが繁栄と調和を信じていた時代だったんだろう。そのニュータウンの中でも、最初に開発が始められた佐竹台団地が新婚だった両親の最初の住まいとなった。長男として生まれた僕も幼稚園年長組の途中まで、そこで過ごした。 

佐竹台1丁目のA10棟の前に着いた。幼い頃の記憶が湧き上がった。夾竹桃の花の色、巨大なアロエの棘。ブランコや滑り台は、位置が変わったか?団地のすぐ横には阪急千里線の線路が走り、南千里駅も見えている。ストライキの時は、近所のガキ大将と山田駅まで歩いていったっけ、橋やトンネルがめちゃくちゃ怖かった。のんきな時代である。 
最上階の5階109号室に住んでいたので、5階まで上っていった。記憶が流れ出してくる。ベランダで飼っていたジュウシマツが蛇に食べられた。階段の踊り場では、ハムスターを飼っていた。4階には双子が住み、賑やかな姉妹もいたし、赤ちゃんもいた。とにかく、子供がたくさんで賑やかだった。 

その109号室は、空室だった。いや、A10棟のほとんどが空室なのである。再開発のマンション計画予定地になっているようだ。老朽化した団地のすぐ横まで、新しいマンションの工事現場が押し寄せていた。

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