2013年1月18日金曜日

森のキンダーガルテン (2007/11/13)


日曜日は終日、本町のインドネシアレストラン「チタチタ」でインドネシア語のレッスン。その後、船場アートカフェで、バリ舞踊の大西由希子さんとのユニット「カミス」のダンスワーク。なのだが、大西さんは、12月に横浜のBANKartと京都アートコンプレックス1928である「ブッダトゥエルブ」の公演のために、東京へ合宿に行ってしまった。それで、この期間、身体表現に興味を持っている人達とダンスワークをすることにした。もし、興味がある人がいればご一報下さい。 

昨日は、ジャワ舞踊、「桃太郎」、三輪眞弘さんの「愛の賛歌」で一緒にやっている大石麻未さんがやって来た。ストレッチをしてから、ゆっくりと寝返りダンスをやってみた。ちょっと感じがつかみにくそうだったので、仰向けになって、おしりを軸に身体を左右に回転させる動きをやってみた。すると、そこからもジャワ舞踊の動きのヒントが見えてきた。新しい発見。

さて、旅日記の続きを書こう。日曜日にコンサートが迫っている。 

10月6日土曜日 

8時、朝食。この日は、出発前からDVDの撮影日に当てていた。Iピクニック(Improvisation picnic)の活動は、名前通り自然の中へ入って、即興パフォーマンスをして、撮影するというのが基本なのだ。9時30分、ディレクターのジョーと運転手のステファンが迎えに来た。佐久間、野村誠、中川、野村幸弘、アナン、スボウォ、藪が乗り込み、ピクニックへ出かけた。どこへ行くのかは、ジョーだけが知っている。 

ドナウ川から遠ざかると、すぐ山になっている。曲がりくねった山道をルノーのバンが滑るように飛ばして登っていく。小高い山を登り切ると視界が広がった。牧草が円柱になってたくさん転がっている。車を止め、ジョーが歩き出した。「少し遠くてもいいか?」と聞くので、みんなで「OK!」と答えた。 




牧草地から森に入った。広葉樹が多い、明るい森だ。見慣れた葉っぱの木があるので、僕はジョーに聞いてみた。 
「この木は何だ。」と聞くと、「ブッヒェンだ。」と答えた。 
「ブッフか?」と聞くと、「そうだ。」と答えた。 
ブッフとは、ブナの木のことである。ブナの木は日本固有のものだが、ヨーロッパでこのブッフが同種の木になるという。本(ブッフ)の語源にもなっている。子供の名前を付ける時に、いろいろと調べたのだ。僕の子供の名前はぶな。木偏に無と書く字もあるが、残念ながら使えなかったので、芙南とした。今回の旅では、この木も是非見たかったのだ。 

森を抜けると、視界が一気に広がった。またしても崖だった。ジャワで見たポンジョンの崖、イングランドで見たハダスフィールドの崖、そしてクレムスの崖。切り立った岩が剥きだしになっている。崖の下の森の向こうには、右から左へとドナウ川がゆったりと流れ、真っ白な塔が見えている。山に登って振り返って見たのではなく、山の向こう側へ出たところに、大きく蛇行したドナウ川が流れていたのだ。この辺りは、クレムスのシュタイン=石と呼ばれている地域なのだった。 



岩の先端で、スボウォさんが踊り始めた。アナンさんの弦楽器が遠くの森から聞こえてくる。僕はもう少し先の居心地の良さそうな岩場を探した。みんな思い思いのところでやっている。時に近寄って、互いに触れあったり、時に遠ざかって、互いの音をかすかに聞きあったりしながら、即興は続いた。鳥が上昇気流に乗って舞い上がり、小型機がドナウ川のすぐ上を音もなく横切っていく。シュテファンが紫煙をくゆるらせている。最後は、岩場にみんな集まってきて、止めてしまうのがもったい感じで、何度か波が訪れた。スボウォさんがゆったりと舞い、そこまでになった。 

草むらに生えている巨大なきのこ、そして毛虫に、歩みを止めながら、車の所まで戻り、クレムスの街へ駆け下りた。すっかり常連になったレスランSalzstadlの店先のアルミテーブルで昼食。オーストリアへ来て以来、暖かないい天気が続いている。幸弘さんが天気男だそうだ。長いソーセージとスパークリングウォーターを注文する。食後は、これまたすぐ近くのカフェで、メランジェとこちらでは呼ぶいわゆるウィンナーコーヒーを飲んだ。 

14時30分。スタジオFunk und Kusteに集合した。メンバーがやっている森のキンダーガルテンへ遊びに行くことになっていたからだ。彼らの説明によると、子供達が自然の中で遊ぶために、森の中にインディアンのテントを張って作った学校。それが森の幼稚園。チェコの自動車シュコダとルノーのバンに分乗して、再びドナウ川から山の方へと向かった。さっきとは違う谷だが、同じような山道を上がっていく。車を停めて、ぞろぞろと森へ入っていった。 

黒髪の女性が鳥笛を吹くと、鳥がさえずり返した。しばらく行くと、鳥の鳴き声に混じって、太鼓のようなかすか音が聞こえた。 
あっ、そうか。 
と、野村クンと同時に気づいた時には、もうセッションが始まっていた。ラスタヘアーのクリスティンが森の中で太鼓を叩いて待っていたのだ。テントも見えてきた。中へ入ると、たき火の跡があり、フェルトの敷物が敷き詰められている。テントの脇の森には、廃品でできたパーカッションがあちらこちらにあり、みんな探しながらの演奏になった。隣の牧場で、山羊がメェーと鳴いた。 

僕は、タイヤチューブのブランコに乗ったり、大きな渇いた倒木を担いだり、色鮮やかな布をひるがえしたりしながら踊った。みんな子供のようになって、森で遊び続けた。即興パフォーマンスは、1時間以上続いた。一息ついた後、明日のコンサートに供えて、原っぱでポン、ポッ、ポッ、ポッ、ポン!の練習をして、解散になった。 

部屋へ戻って、僕と野村クン、やぶちゃんの3人で、明日のコンサートの譜面・進行表作りをした。「僕は、この作業が好きなんだよね。」と言いながら、野村クンがエクセルで書いていった。やぶちゃんがいるので百人力だ。今はヨークでコミュニティ・ミュージックを勉強中だが、元々は平田オリザさんの劇団「青年団」で裏方仕事をしていたり、自分でも作曲したり、演奏したり、何でもできる人なのだ。 

20時30分、ようやく譜面・進行表がプリントアウト出来たので、Frishe Fisher(新鮮な魚)のレストランKlosterstuberlへ向かった。窓から、真さん、幸弘さん、アナンさんの姿が見えた。アヒルのヒレ肉のクリーム煮とポテトの角切り揚げを注文。顔なじみになった店主が古いチターを持ってきた。100年前のものだという。野村クンとやぶちゃんが試しに弾いてみた。21時30分、Minoriten kieche教会へ。Diamanda Galasのコンサートが始まっていた。客席は満員だった。濃いメークをした女性歌手で、ピアノを弾きながら、切り裂くような、うめくような、すすり泣くような声で歌った。万雷の拍手。表現力たっぷりだった。中庭へ出ると、移動式カリヨンと手回しオルガンをMIDIにつないだオランダのグループのコンサートが始まった。ポップなメロディと懐かしい音が不思議なバランスになって、明るくももの悲しいようなヨーロッパの祭りの雰囲気を作っていた。 

この日のうちに、明日の会場設定をある程度しておきたかったので、野村クンとやぶちゃんと舞台撤収まで残った。会場では、スタッフが疲れ切った顔で撤収作業をしている。野村クンがいろいろと確認するが、まともに対応してくれない。しかし、今日中にある程度しておかないと、僕らも明日困るのだ。元々この時間にやる約束になっていたので、こちらも引かなかった。必死に喰い下がって、なんとか舞台設営を完了させた。ありがとう、ジョー。 

12時30分、ホテルへ戻る。明日は楽しみだねと言い合って、隣の野村クンとほぼ同時に寝た。 

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