2013年1月23日水曜日

シンポジウムでダンス (2008/03/12)

日曜日は浜松へ出かけた。NPO法人クリエイティブサポートレッツが主催する「浜松アートフォーラム」に参加するためだ。 

ポカポカ陽気の中、浜松駅から歩いて会場の元警察署だった鴨江別館に到着。道を挟んだ向かいにはソテツと旧銀行協会の建物がある。どちらも1920年代の建築で味がある。鴨江別館には、子供や地元のアーティストが作ったインスタレーションが並んでいる。みんなのびのびと好き勝手にやっていてパワフルだ。 

2階の控え室で打ち合わせを行う。元取調室だろうか。レッツの代表の久保田翠さん、アートディレクターの北川フラムさん、武蔵野美術大学の柳澤さん、プラスアーツの永田宏和さん、市会議員の井上さん(?)、司会の岩瀬さん、そして僕の7人でお弁当をいただきながらの打ち合わせ。北川フラムさんがものすごく険しい顔をしていたので、難しい人なのかと思っていたら、風邪と歯痛がひどいということだった。しゃべってみると楽しい人だった。 

午後からは、まずフラムさんの講演。越後妻有で行っている 
「大地の芸術祭 越後妻有トリエンナーレ」 
http://www.echigo-tsumari.jp/ 
についてであった。先ほどの苦しそうな顔はどこへ行ったのか、とてもパワフルな口調でグイグイと人を引きつける姿に圧倒された。続いて、シンポジウムが始まり、永田さんが「防災とアート」についてのプレゼンをした。次は僕がプレゼンする番だったが、フラムさんに圧倒された空気が残っていたので、まずは会場に風をおくるダンスから始めた。話をするように言われていたが、ダンスから始めた。 

「ジャワ舞踊」と「浜松」と「アートによる町づくり」という結びつかないように見えるものが、微妙な綾によって結びついて、僕が今日ここで話をすることになったということを、身振り手振りのダンスを交えながら、なんとか説明した。その事実が、シンポジウムのタイトルである「地域にアートができること」ということを語っているような気がしたからだ。会場には、たんぽぽの家の岡部さんや浜松楽器博物館の嶋館長の姿も見えた。 

浜松は楽器の町である。バイオリンやピアノの町である。しかし不思議なことに、浜松楽器博物館のど真ん中には、ガムランが堂々と座っているのだ。ガムランのユニークなところは、セット毎に形や装飾が違うのはもちろん、音程が異なっているところだ。だから、同じ曲を演奏しても、村によって、学校によって、グループによって、ラジオ局によって、王宮によって、曲が違って聞こえるのだ。違うことは困ることではなく、違うことが多様さを作り、愛着を生みだすのだ。 

日本では、どこの町へ行っても立派な公共ホールや美術館があるが、ユニークなところは少ない。どこのホールの自主コンサートもコンテンツは似たり寄ったりである。しかし最近は、古い建物、商店街、学校などを舞台にしたアートイベントが増えてきている。アートの生活への接近。そこに生活する人がアートに関わり、その場所に特有のアートが生まれることによって、場所への愛着が生まれるんじゃないだろうか。 

しかしその時に、アートは確かな強度を持たなければならない。アートがその場所で行われる必然性、その地域の人々と関わる必然性が重要となる。もちろん僕は、偶然性や即興性や遊びも大事にしている。場所や人と出会う偶然、そこに立ち現れる即興や遊び、そんな中から他とは違う多様性のあるアートが生まれる。しかし、偶然の中に必然を見つけなければ、アートは道具として使われるだけになり、道具としても役に立たないものとなるだろう。 

僕自身は無味無臭の空気が動かないようなホールの中でより、風が頬をなでるような自然の中や、そこに染みついた人々の記憶が感じられるような場所で踊る方が何倍も気持ちがいい。そしてその気持ちよさをそこにいる人と共有できたら素晴らしいだろうと思う。 

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