2013年1月24日木曜日

波乱の幕開け (2008/0903)

8月20日(水曜日)

9時、関西空港にツアーへ出発する23人が集合した。 
マルガサリメンバーに加えて、「桃太郎」プロジェクトメンバーの林加奈さん、尾崎日菜子さん、中嶋みくりさん、佐々木宏実さん、ローフィッさん、とおふたりの子供のあるむちゃん。照明の坂本幸子さん。衣装の水谷由美子さん。通訳役の岡戸香里さん。ツアー同行者の永留靖洋さんと高橋綾さん。 

そして、見送りのブナのジジ、ババ、西岡美緒さんのお母さんとお姉さん。大所帯である。チェックインするだけでも大騒動である。行きがかり上、僕がツアーコンダクターになっている。 

デンパサール経由で、予定よりも遅れて20時頃にジャカルタ着。空港へは、国際交流基金を通じて頼んでいた中型バスが来ている。全員の荷物と「桃太郎」の舞台装置(タペストリー、牛、鬼の袋)などを詰めるとバスが満杯である。 

野村誠さんが成田発で、21時頃到着なので、僕が残って待つことになった。空港で、ミーゴレンを食べながら待つと、野村さんが程なくやって来た。ふたりでタクシーに乗り、ジャカルタ市内のピタギリ・ホテルへ向かった。インドネシア随一のスタジアムであるスナヤン競技場のやや西側にある。 

高速道路を下り、下町に入り、果物の屋台が密集した辺りに、ピタギリ・ホテルはあった。4階建てのなかなか快適そうなホテルだ。到着すると国際交流基金の金井さんが迎えてくれた。2004年に、大阪のダンスボックスで公演をした時に見に来てくれたので、それ以来の再会である。ホテルの食堂でミーティングをして、その日はベッドに入った。 

8月21日(木曜日) 




早く目が覚めたので、イウィンさんとブナと散歩に出た。ホテルの敷地を出ると、狭い通りには、人、車、バイク、ミニバスが溢れている。路上には、ゴミが散乱している。どぶ川にかぶせられたコンクリートのカバーが所々で外れかかっているので、気をつけて歩かなければならない。少し歩くと、市場があった。たくさんの果物と鶏肉が売られている。イウィンさんがマンゴーを買った。 

ホテルへもどって、食堂で朝食を食べていると、皆が順番に起きてくる。いつも順番は大体同じで、佐久間家と佐々木家が早く、その後は岡戸さんあたりである。 

朝食後、全員がロビーに集合し、コンサートの会場であるブンタラ・ブダヤ・ジャカルタへ徒歩で向かった。ゴミゴミした通りを抜けて、路地にはいると屋台や食堂が並び、大都会とは思えないいい雰囲気である。路地を抜けるとオフィスビルのコンプレックスに入る。ブンタラ・ブダヤ・ジャカルタは、インドネシアを代表する新聞コンパス紙と出版社グラメディア社が所有する文化センターで、その両社のビルの一角にあった。通りに面したところには、ルマ・クドゥス(クドゥスの家)と呼ばれる中部ジャワのクドゥス地方の伝統家屋がどーんと建っていた。すごい存在感のある建物である。 

中庭に張られた横断幕には、「ガムラン・テアトル・ジュパン マルガサリ」と書かれ、中川タマゴ大王の写真が大きく写っている。中川真さんが大喜びしている。 

ブンタラ・ブダヤ・ジャカルタの所長のエフィックスさん、スタッフのイポンさんが出迎えてくれた。木造建築のルマ・クドゥスを案内してくれた。200年以上前の建物を移築したそうである。見事な彫刻が施されている。 

ルマ・クドゥスの横のギャラリーが、今回の我々の控え室である。荷物を運び込み、一息ついていると、 

バッシャーン!! 

と大きな音がした。ハッと思い、部屋の隅にあった螺旋階段を飛び降りると、地下室の螺旋階段の手すりと壁の間にブナが挟まっていた。すき間から引っ張り上げて、1階へと運び出した。幸い意識もあり、ワーワーと鳴いている。頬が内出血し、鼻血が少し出て、後頭部にたんこぶが出来ている。足や肋骨には異常がないようだ。 

オフィスの中にある救護室に運び様子を見た。その後で、エフィックスさんの車で近くの大きな病院へ向かった。レントゲンを撮った。すると、頭蓋骨に亀裂が入っている。大変なことになってしまった。 

しかし、その段階では、専門の外科医がおらず、一旦ブンタラ・ブダヤへ戻った。エフィックスさんがいろいろと手を回してくれて、ジャカルタでも有数の大病院であるプルタミナ病院へ行くことになった。結局、ここでCTスキャンなども取り、脳神経外科医にも見てもらったところ異常がないことが判明した。わずかなヒビは入っているが、ふつうにしていれば、くっつくとのことだった。一時は、イウィンさんとともに帰国する手配も考えていたので、ホッと一安心である。本人はケロッとしている。 

現場を改めて眺めてみると、かなり危険な場所だった。しかし、足から真っ直ぐ落ちたことと、地下の手すりと壁のすき間に18リットルのポリタンクがあり、その上に着地したことが、不幸中の幸いだった。もし、そのタンクが無く、少しでも斜めに落ちていれば、・・・ ・・・。 







夜は、ホテルにジャカルタ新聞の鶴見さんが来られて、インタビュー取材。そして、全体ミーティング。 

ツアー開始は、波乱の幕開けになった。 

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