2013年1月24日木曜日

多言語の現場 (2008/09/05)

8月22日(金曜日) 


このツアーには、日本からの24人に加えて、マルガサリのジャワ留学組3人(岩本くん、田渕さん、西田さん)とハナコ役でISIジョグジャの教官であるウティさんが参加することになっている。 

田渕さんと西田さんは、昨日の夕方すでに電車でジャカルタ入りしていた。岩本くんはジョグジャからの参加予定。前日にコンサートがあったウティさんは、飛行機でやって来ることになっていたので、ホテルのロビーで待っていると、飛行場から白タクに乗ってやって来た。正規のタクシーより安いのだ。 

ウティさんとホテルの部屋で打ち合わせ。ハナコの場面は、前回の山口公演ではテレビ山口の佐藤けいアナウンサーに参加してもらったこと、現地の人とコラボすることによって、作品の風通しを良くしたいという意図を説明した。 

「ワヤン・クリッ(影絵芝居)の道化の場面みたいに、でしょ。」 
と簡単に理解してくれた。 

イヌ役の大石さんにも手伝ってもらって、「セミ」や「盆踊り」のダンスを練習した。 

昼前に、ブンタラ・ブダヤへ向かった。会場づくりがだいぶ進んでいた。ルマ・クドゥス前の中庭に特設舞台が組まれている。照明の坂本(キュウちゃん)さんの号令で、現地スタッフがテキパキと動いている。 

「これOK!」「これダメダメ」 
「もうひとつあるの?ないの?」「違う違う!!」 


(写真:坂本幸子)
全部日本語だが、全部通じている。もちろんややこしいところは、通訳の岡戸さんがフォローするが、大体の仕事は出来ている。そのうちにインドネシア人が日本語を覚えていく。 

今回の「桃太郎」の難しさの一つは、言葉である。キャストの中には、サル役の西さんやタマゴ大王役の中川真さんのようにインドネシア語が上手なメンバーもいれば、桃太郎役の林加奈さんや哲学者役の家高さんのようにほとんどできない人もいる。 

僕は、今回の公演の言語監修を務めたが、全編をインドネシア語でするのではなく、インドネシア語と日本語と英語が入り交じる多言語の芝居を目指した。観客の大半はインドネシア人だが、日本人を含めた外国人もたくさん来るはずである。観客全員が全体としてストーリーを追っていけるように、セリフをシンプルにすることに注意した。また、セリフの一部が理解できなくても、言葉の響きやリズムを楽しんだり、役者の表情や仕草からセリフを想像できるように、いくつかの面白い言葉を残すように心掛けた。 

キュウちゃんの仕事ぶりを見ていると、多言語芝居がすでに始まっているようだった。 

ブンタラ・ブダヤのスタッフの仕事は、なかなか手際がいい。竹の棒を十字に組み合わせて照明をぶら下げ、地面に穴を掘って石を積め、この竹の棒を突き差すと、立派な照明装置が完成する。見た目を気にして、竹には黒い布が巻かれている。 

「なかなかいい仕事をするなぁ。」 
とキュウちゃんが感心している。 

箱を組み合わせた10メートル×8メートルの舞台が完成すると、「すぐに乾くから・・・。」と、黒いペンキを一瞬で塗ってしまう。夕方には、ルマ・クドゥスを背景とした立派な舞台が出来ていた。 

日本から持参した坪井ゆゆさん作のタペストリーは、ルマ・クドゥスの中にしつらえることになった。桃太郎の誕生や鬼ヶ島などを象徴的に表す重要な装置である。薄暗くなった会場でタペストリーを照らすと、正面のドアの奥に浮かび上がり、まるでルマ(家)が生きているように見えた。 

アヤム・ゴレン(鶏の唐揚げ)弁当を食べて、リハーサルの準備をした。ブナは、日本を出発する前からやる気満々で子鬼役をする予定だったが、ジャカルタ公演は大事を取って出演しないことにした。 

会場に懐かしい顔があらわれた。劇作家のプトゥ・ウィジャヤさんだ。奥さんと息子のタクスくんと劇団のメンバーも一緒だ。以前、彼の劇団「マンディリ」が京都造形大学で公演した時に、通訳兼出演者として手伝いをしたのだ。舞台下手の芝生に座って、リハーサルを最後まで見てくれた。 

リハーサル終了後、ホテルに戻って、全体ミーティング。大所帯なので、段取りを決めるだけでもなかなか大変である。さらに細かい打ち合わせをするために、今回の公演の舞台監督を務める羽田さんの部屋へ集合した。なんだかみんなハイになっているのか、深夜まで飲まず食わずの打ち合わせが続いた。あ~しんど・・・。 

「桃太郎」は、演出家を置いていないので、いつもギリギリまで演出が変わっていくのだ。 

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