2013年2月18日月曜日

からだカフェ (2009/06/14)

5月30日 
6時過ぎに目が覚める。神奈川県相模原市藤野の大澤寅雄さんと手塚夏子さんの家の2階。霧雨が降っている空気。ちょっとゴロゴロしてから、散歩に出た。 


ダム湖があって、銀色の橋が架かっている。山の上の方には、中央道が走っている。車の音がドローンになって、谷に響いている。霧雨の中、小学生や車が、山から谷へ下ってきて、橋を渡って、また谷から山へ上がって行く。ダム湖の表面には、橋から落ちた水が微妙なさざ波を作っている。 


寅雄さんの作った朝ご飯。ごぼうのきんぴら、ゴーヤのなんだったか?おいしかったのは覚ているが・・・、それとみそ汁、玄米ご飯、梅干し。かな?とてもおいしかった。 

10時に家を出て、藤野駅へ。すごい田舎なんだけど、芸術家がいっぱい住んでいたり、シュタイナー学校があったりで、駅前には、地元アーティストの作品を展示したり、販売したりする店がある。そこで、ブナの土産用に、作家の直筆イラスト入りの「おでんさむらい」という絵本を買った。主人公は、ひらたおでん、という侍。 

電車と地下鉄を乗り継いで、昼頃、門前仲町駅着。門前天井ホールは、駅からすぐのビルの天井近くにあった。窓からは首都高がよく見え、車がホールのすぐ下を走っていた。手塚さんが買ってきたパンで昼食。僕は、ホールの近くをちょっと散歩。 

会場準備。お花をいろいろ持ってきた曽我敦子さんが、手際よく花を生けていく。「この葉っぱ、いい香りするんですよ。」と教えてくれた。名前は何だったか?3回くらい聞いたのに、また忘れてしまった。 

14時30分開場。カフェだから、開店?野村誠さん、尾引浩志さん、中村伸さんと深樹さん夫妻もいらしてくれた。お客さんは、15人くらいでちょうどいい感じ。入り口近くのカフェでは、コーヒー、紅茶、バナナケーキがあり、机の上にはいいにおいの花と葉っぱ。 

イベント様子は、 
手塚夏子さんのウェブサイト 
http://natsukote-archive.blogspot.com/ 
門仲天井ホールのウェブサイト 
http://monakaten2.exblog.jp/8331728/ 
アートマネージメントの大澤寅雄さんのウェブサイト 
ページを下へ下がって行くと出てきます! 
http://toraodoc.blogspot.com/ 
スタッフをしてくれた赤羽美希さんのブログ 
http://blog.goo.ne.jp/zaurus33/e/c1ea6d6535a989f8524bb31ef6b5ca9f 

にも書かれている。 
その場の空気を揺らす試み。とても面白いことになった。「波送り」は、前からやっているが、だんだんとパワーがついてきたようだ。でも、これは僕だけのパワーじゃなくて、その場に居合わせた人との共同のパワー。 

終演後、倍音音楽家の尾引浩志さんが「僕は動いてなかったんだけど・・・、」と言うと、尾引さんの後ろで波を受けていた作曲家の野村誠さんが「かなり動いてましたよ!」と、すかさず突っ込んだ。 

打ち上げは、もんじゃ。ホールの近くにあるもんじゃ「三久」へ行った。あさりもんじゃから始まって、焼きそばなどもはさみながら、ベビスターもんじゃまで楽しんだ。もんじゃは生まれて初めてだったが、いつお腹いっぱいになるのかが分かりにくい食べ物だった。 

大阪へ帰ろうかなとも思ったが、その日は野村誠さんの家に泊ることにした。都営三田線に乗って志村三丁目下車、徒歩10分のところにあるマンション。前から入ると6階なんだけど、後ろからは駐車場の地下1階にあるように見える、崖の前に立った不思議なマンション。 

付近は坂が多かった。坂を愛でながら、温泉の銭湯へ行った。駅へ向かって何本かの谷筋が道になって下っている。平行している谷に、所々であみだくじの横棒にような階段や坂が、谷筋に渡されている。さっぱりとしたからだに夜風を感じながら、二人で坂を下ったり、上ったりして散歩した。 

翌朝は、6時過ぎに起きた。リビングルームには、2004年の六甲山で行われたネイチャー・アート・キャンプで、炎で演奏されたピアノ「エンジェル」があり、ジャワの太鼓があり、いろんなイベントのチラシや野村さんの服が散乱していた。荷作りをしていると、足下にあった古いのやら新しいのやらいろいろ入り交じったチラシの中から、1枚のチラシが目に入った。 

アルヴィン・ルシエ コンサート 京都市立芸術大学 1989年10月14日 

確か、このコンサートへ向かうために阪急桂駅でバスを待っていた時に、前に立っていた野村クンに声をかけたのが、最初の出会いだったと思う。当時は、僕らは大学生だったが、野村クンは京大の数学科の学生でありながら、難解な現代音楽のピアノのコンサートをしたり、サウンド・スケープのフォーラムでは、パネリストに食って掛かったりしていて、かなりとんがって目だっていた。僕はと言えば、阪大のガムラングループでガムランを叩きながら、フットワークだけを取り柄に、いろんなコンサートや映画やお祭りやイベントに顔を出していた。 

寝起きの野村さんに挨拶をして、早足で駅へ向かった。志村三丁目から三田線に乗り、巣鴨で乗り換え、東京駅へ出て、のぞみに乗り、新幹線で大阪へ戻り、御堂筋線で本町へ出て、インドネシア語講座の会場であるインドネシアレストランへ向かった。15分遅刻して、11時15分に到着した。なんだか少し興奮したまま、授業を始めた。

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