2013年2月18日月曜日

ビリージーン (2009/07/02)

「ビリージーン」が発売された1983年、僕は中学2年だった。こんなにカッコいいダンスがあるのかと、友達の塗本クンとよく真似をした。 

訃報を聞いて、you tubeで映像を繰り返し見てみた。何に引きつけられたのかと。今見ても、本当にカッコいい。そして、僕が考えるいいダンスやジャワ舞踊ともたくさんの共通点を発見した。脱力していて、音や衝動に突き動かされた一点を起点に動く。舞台の空気、気配を感じ、それが見るものに伝わるダンス。プロモーションビデオ、ライブ映像など見比べてみた。顔が変わっていくので、映像の年代がすぐ分かる。「オフ・ザ・ウォール」までのものは、歌手マイケルが曲に合わせて踊っている感じ。「ビリージーン」では、ダンスと音楽が一体化しはじめている。最近のになると、一般的にはダンスの完成度が上がっていると言われているが、僕にとっては、衝動的に踊る感じが少なくなってやや物足りない。80年代の「ビリージーン」は、どの映像を見ても、野生のカモシカが自分の力に身震いするように、何者かにおびえるように、神経を研ぎすませ生き生きと躍動している。しかし、90年代以降も、マイケルは、この曲で自分のダンスの多様性や自由度の限界にチャレンジしているかに見える。群舞をせずにソロに徹している。天才的な素材が、段々とテクニックを身につけ、ライブで自由自在にダンスしはじめている。テクニックの進歩による過剰な演出と衝動から来る素朴だけれど切実なダンスとがせめぎあっている。 

「ビリージーン」でのマイケルは、振り付けを踊っていない。いくつかの振りのパターンを、ポケットやベルトに武器を忍ばせるようにからだに携えて、音楽や観客の興奮をその場で感じつつ、繰り出していってる感じなのだ。もちろん、巨額なマネーが投じられたショービジネスなので、予防線は張られている。例えば、前奏が始まってからの一連の部分。スポットの輪にスルリと忍び込み静止。ビートの律動に共振し腰が動く。左右にキックを入れ、クルッと旋回し、左右に足を組み替える。少し湾曲して傾いて直立し、重力に合わせてからだを一気に傾け、足をクロスしながら、帽子を飛ばす。あ~完璧!この部分はこうでしかありないので、どのコンサートでもほぼ変わらない。それ以降は、メロディの部分、サビへの移行部分、サビの部分、間奏ビートのみ、間奏ギターあり、など大雑把にとらえながら、武器を繰り出していく。即興だが、一定のルールがあり、曲の進行とダンスが相乗効果を作っていく。歌うところ。伸びやかに走るところ。盛り上がりに向けて急を告げるところ。盛り上がりの中の静寂。間奏でのテンションのキープ。そして最終兵器ムーンウォークが生み出すダンスのクライマックス。

即興的に踊りながら、自分も楽器の一つとして参加している感じなのだ。時折繰り出す叫び声、しゃっくりがビートを超えたビートを刻む。観客の声が場を揺り動かす。 

繰り出される武器は、例えばこんな感じ、 

サイドへのキック 
正面へのキック 
少し重心を落としての左右へのステップの組み替え 

その場でつま先を床につけてのかかとを旋回させるステップ 
その場で1回転  
その場で何度も回転 
つま先立ちでストップ 

髪を直す 
耳をそばだてる 
首を前後に振る 左右に振る 
手のひらを前に向け掲げる 
どこかを指差す 
帽子を直す、投げる 
手袋を付ける、直す 
ジャケットを着る、直す、裾を払う 
ベルトを直す 
ズボンをたくし上げる 
股間を押さえる 

その場でおしっこが我慢出来ないように飛び跳ねる 
その場でうずうずして我慢出来ないように駆け足する 

スキップして走り回る 
足を引きずるように歩く 
モデルのようにつま先をひらひらさせて歩く 

これらの武器を、衝動と音楽と場の気配を察知しながら、というか察知する直前くらいのタイミングで繰り出していく。そして、光と音と大観衆と一体化していく。 

「言葉でより、ダンスの方がコミュニケーションしやすいんだ。」というようなことをマイケルが言ったと、中学生だった僕は記憶している。そのことの意味が段々分かってきた。マイケルが進んだ道とは、ちょっと違う道かもしれないが、僕は僕なりの新しい武器を探したいと思うし、あるいは、時には、集めた武器を全部投げ捨てなければならないこともあると思っている。

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