2013年4月2日火曜日

伸びるイチョウ (2009/11/18)

11月15日 
大分へ。28年前に、詩人の故谷川雁さんが設立した「ものがたり文化の会」の大分支部へワークショップをしに行った。この日記を通じて知り合った温水晶子さんが企画してくれた。「ものがたり文化の会」は、子供からおとなまでが定期的に集まって、自然やアートに触れる活動を行っている。宮沢賢治の童話をもとに、からだを使ってものがたりを表現する「人体交響楽」という試みもやっている。 

10時前、会場に到着。公民館のスタジオに子供からおとなまで11人が集まっている。まずは、僕が自己紹介。小学校と中学校の間の春休みに大分へ来たことがあるという話から、ガムランとの出会い、舞踊との出会いなどを30分くらいかけてゆっくりと話した。それから、参加メンバーに自己紹介をしてもらった。中学生から、孫のいる方までいて、親子が2組、兄弟が1組いた。28年前の設立以前から一緒にやっている人もいるし、子供の頃から参加していて、社会人になった人もいる。みんな人生の長い時間をともに過ごしてきたメンバーなのだ。とても濃いメンバーだ。 

それから、ペットボトルのワーク。半分に入れた水をたっぷん、たっぷんさせたり、からだに載せていろいろ動いてみる。みんなすごい集中力、いろいろと新しい試みも発見してくれる。たっぷん、たっぷんは、頭の上に載せてやると楽しいとか。空気イスをして、膝やつま先にペットボトルをたくさん載せてみるとか。からだにペットボトルを載せるのは、9本の記録が出た。 

昼食を挟んで、午後からもいろいろとからだを動かした。午後からは、参加メンバーが3人増えた。今日は、「見えない/見えにくいものを感じて、動く。」ことをテーマにした。事前にもらったDVDで「人体交響楽」を見たときに思ったのは、面白い試みなんだけど、見えないもの(たとえば、風)の表現が、ちょっと惜しい感じだな・・・、ということだった。何か決まりきった常套的な動きのようになっている。「からだでやるっていったって、なかなか・・・、難しいんだよな。」「なんとかやってみたいだけど、どうやったらいいのかな・・・。」という感じが伝わってきた。トライしたい気持ち、あふれるエネルギーはあるんだけど、どうやったらいいんだろう、というためらいともどかしさ。 

もちろん、風をからだで表現しろっていたって、難しい。僕だってそう思う。でも、踊りを続けているうちに、風だって、雲だって、月の動きだって、自分がしっかりとしたイメージを持って、ちゃんとリアルに感じて、動けば、見る人には伝わるんだってことが分かってきた。見る人と幻想を共有するためには、自然の摂理に従うことや感覚を研ぎすますことが必要だし、それを動きに結びつけるリッラクスしたしなやかなからだが必要だ。そして、なによりも表現する人は、見る人には想像力があるんだということを信じる勇気が必要だってことが分かってきた。 

午後からは、引き続きからだを動かしたり、伊藤愛子さんとの即興のビデオを見たり、僕がジャワ舞踊を踊ったりした。17時過ぎにワークショップは終了。その後、お菓子を食べながら、表現についての話が続いた。打ち上げは、参加メンバーのひとりである誠さんが育てた鶏と卵を使っているとり料理の店だった。ワークショップには参加しなかったけれど、「ものがたり文化の会」メンバーの哲一郎さんが働いている店で、彼も打ち上げには参加してくれた。青年海外協力隊でアフリカのガボンから帰国したばっかりの裕介さんも駆けつけた。 

ささみ肉のカルパッチョ、もも肉の炭火焼、つくねと鶏肉の鍋、そして卵を使ったおじや、どれも最高においしかった。 

この日に出会った人たちは、本当にみんないい顔をしていた。悩みを抱えた中高生、悩みながらも歩きはじめた20代の青年たち、30代、40代、そして無敵のおばさまたち。 

11月16日 
9時30分に大分駅で、温水晶子さんと待ち合わせ。晶子さんおすすめの柞原(ゆすはら)神社へ。階段を上がると、右側に大きなホルトノキ。ざらざらとした樹皮、幹は太い丸みがあり、たくましい曲線を描いている。上を見上げれば、はるか上空に枝を大きく広げている。ホルトノキでは、樹高は日本一。晶子さんが一番好きな木だと言う。左側には、クスノキ。こちらは樹齢3000年、大きさは全国7位。根元は力強く大地をつかんでいるが、大きなウロができている。幹は力強い直線と短い曲線。こちらも本当に大きくて美しい。 

少し行くと左手の木立の中にお稲荷さん。地面からすくっと伸びた1メートルほどの茎の先に、枯れた花のようなものが付いている。よく見ると、3枚の皮でできたラグビーボールが先端からはじけたような形。皮と皮との間には、引き裂かれた筋が残っている。中には3つの部屋があり、グラシン紙に挟んだ記念切手のような種子が積み重ねられた本のように何十枚もぎっしりと並んでいる。茎を指ではじくと乾いた音が鳴った。何度かつま弾いていると、一番上の切手が隙間からスルッと抜け出して、ハラハラと飛んで行った。小刻みに揺すると次から次へと手品師のトランプのように種子が飛んで行った。風の道が見えた。 

風の道の先には、小動物の亡骸があり、小さな牙が見えていた。その先には、笹の枝が飛び出していて、クモが獲物を待っていた。笹の先端から張られた糸に触れると、張力がかかっていて、しなやかだった。放射状に張られた縦糸に対して同心円上に張られた横糸を触ると、柔らかでネバネバしていた。木立のあちらこちらに残った主のいないクモの糸には、丸いもの、長いもの、いろんなものがぶら下がってモビールになって揺れていた。 

カラスの羽が落ちていた。手に持つと、風が切れていく。羽が勝手に踊っている。参道へ戻ると、石の階段の両側に、ナンテンが赤い実を付けている。赤い実を階段の上から転がしてみる。そして、僕も一緒に転がった。ゴロゴロ、コロコロコロ。階段に腰掛けて、一休み。コーヒーを飲んで、ケーキを食べて、晶子さんと小さい頃の話をした。勝手に動く、木の枝に付いた白い繭のお話とかとか。拝殿でお祈りした。ツグミがたくさん鳴いた。帰りは、別の急な階段を下った。大きな大きな杉が並んでいる。杉の奥にイチョウがちらりと見えた。近づいて行くと、大きなイチョウだった。2本あった。右のイチョウは、懸命に枝を左のイチョウに伸ばしていた。左のイチョウは上へ上へと伸びていた。イチョウの夫婦だねと言い合った。イチョウの夫婦には子供がいた。お母さんから少し離れたところに立っていた。お母さんは、そちらへも大きく枝を伸ばしていた。お母さんの幹に唇を当てるととても暖かかった。 

晶子さんの電話が鳴った。子供が熱を出したようだった。気づけば、神社に来て3時間が経っていた。 

大分駅まで送ってもらった。駅で、とり天定食を食べた。バスの待合所のベンチに座って、野村誠さんから返してもらった「魅せられた身体」小沼純一(青土社)の続きを読んだ。バリの少年サンピ、ジャワの4人の舞姫、パリの万国博覧会、マイルス・デイビス・・・。飛行機の窓から、ビロードのような雲が見えていた。風が優しく通り抜けた模様を作っていた。本を置いて、雲を眺め続けた。飛行機が高度を下げると、雲が途切れ、不意に、光がちりばめられた夕暮れの大阪があらわれ

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