2013年7月5日金曜日

近くて遠い旅 (26/01/2010)

この間の日曜日は,船場アートカフェで高岡伸一さんと、大阪ピクニックに関する打ち合わせ。去年した船場アートカフェ主催の二つのピクニックに関する印刷物を作成することに。また、2月15日にも船場アートカフェのマンスリーワークショップで、大阪ピクニック夜編を行うのでその件も少し。印刷物がどんな形式になるかは、これからみんなで考える。パンフレットになるかレポートになるかマニュアルになるかイラスト地図になるか。 

まずは,この日記でも途中になっていた大阪ピクニック02 坂編 天王寺~帝塚山 の振り返りをしておこう。これはあくまでも僕の視点。参加したそれぞれが自分の体験をしている。そういったことが反映されるものを作りたいなあ。(写真は、西純一さん) 

10月12日 
13時,JR天王寺駅1階コンコース 551蓬莱前に集合。僕は、車を駐車場に入れるのに手間取って5分遅刻してしまった。 
すでに集まってくれていたのは、建築の高岡伸一さん、エイブルアートの岡部太郎さん、映像担当の本間直樹さん、街歩きのOさん、美術+パフォーマーの池上純子さん、美術の西純一さんとNAOさん、音の専門家のかつふじたまこさん、寝てても方角の分かるHさん、そのお友達のYさん、写真家のTさん、染色会社に勤めるFさん、そしてイウィンさんとブナ。それから、遅刻して途中で合流した小島剛(音の専門家)を入れると総勢15名。 

まずは、JR、近鉄百貨店、アポロビルを結ぶ歩道橋へ。歩道橋の上の南東側で、50代から70代のおじさんたち6、7人が見物にふけっているのを眺める。おじさんたちが眺めているのは、巨大な工事現場。異様に背の高いクレーンが何台も動いていて、地下がむき出しになっている。チンチン電車(阪堺電軌)に沿って立ち並んでいた味のあるアーケードが取り壊されていた。高村薫の「神の火」という小説の舞台にもなっており、留学中ジャワで何度も読み返していた僕にとっては、猥雑だけれどもほんのりと暖かいイメージのある場所だった。 

アポロビルの前を西へ向かい、大阪市大病院を左へ曲がる。先ほどの味のあるアーケードの裏手に当たる。巨大なマンション群が建っている。Oさんいわく「とても紛らわしいイタリア語風の名前」がすべてのマンションにつけられている。この辺りは、ゆっくりと西へ傾斜している。上町台地の西端だ。今回のピクニックは、この台地の西端を天王寺から帝塚山へかけて南下するのが主なルートだ。阿倍野区と西成区の境界にもなっている。崖の上が東、下が西。天王寺から帝塚山へと南下していく。土地の変容とともに、風景、建物、人、植物、動物、音、におい、あらゆるものが変化していく。 

阿倍野マルシェを越えたところで、時計台が現れる。塀があり、崖になっている。階段の下は、飛田新地だ。明治時代にできた赤線地帯だ。階段をおり、飛田新地を南下する。時代が逆行する感じ。新地の南端に「鯛よし百番」がある。元遊郭が今は料理屋さんになっている。15年以上前に、大宴会をしたことがある。新地が途切れたところに、短いトンネルがある。西さんの提案で、上の道に連なる階段に並んで恒例の記念撮影。この辺りは、南北に狭い筋が走り、東側の崖の所々に階段がある。崖際に立つアパートには、崖の下と上の両方に入り口があったりする。階段を上がると、市営南霊園。風が霊園を横切っているのを,みんなでバンザイして味わった。 

階段を再び下りて行くと,玄関が共同の古いアパートが斜面に建っている。高岡さんの説明を聞きながら,タイルや装飾を観察。太ったツヤツヤの猫がたくさんいる。アパートの横に小さな公園があったので一休み。木陰が気持ちいい。鳩が間隔を空けてたたずんでいる。小島さんの提案で,全員1分間音に集中する。近い音,遠い音,大きな音,小さな音。中空に響く高速道路のドローン,鳩の声,切り裂くような鳥の声,自転車のブレーキ,薄暗い窓の向こうのAMラジオに、耳を澄ます。感覚が開いてくるのが分かる。僕は,西さんに聞いてみた。「このアパートと西さんはどっちが年いってますか?」しばらく考えた西さんは,「アパートかな。小さな頃にこんな感じのアパートを見たことがあるし・・・。」 

アパートの側面はつぎはぎだらけだった。木の窓枠,サッシ,クーラーの室外機,洗濯干し用の支え,何種類ものガラス・・・。自分と同じくらいの年齢のものを探してみようと提案した。答え合わせは、高岡さんがしてくる。子供の頃の記憶の引き出しを呼び覚まして,アパートの質感をじっくりと味わった。木の窓の横滑りさせる時のひっかかり。薄く粘りのないガラスの小刻みに震える音。クーラー室外機のホースが壁を突き抜ける周りに塞ぐ粘土のようなもののにおい。牛乳瓶に表面に残された傷の数々。 

再び崖の上に上がって,大谷高校の裏を南下する。ガードレールの音楽,猫じゃらしのダンス。聖天山公園に到着。こんもりとした古墳の上にアメリカ軍も切り倒すことできなかったクスノキがある。Oさんは、本当に故事来歴から地理,地質学まで街歩きに関することは何でも知っているのでうれしい。クスノキの根っこの周りで,自分のベッド探し遊びをやった。ブナが一番上手だった。根っこのベッド。「日本人の観光客なん?」子供たちがしゃべりかけてくる。コンクリートのベンチの裏に敷かれた座布団に猫が何匹も寝ている。 

正圓寺の手前のコンクリートの塀に、雨と風がアラビア文字を作ってる。アッサラームアライクム。境内の桜の老木をそっと揺すってみる。門前にある柄杓で水をすくって,流してみる。水は微妙な線を描き階段の方へ伸びていき、川になる。みんなで川になってみる。足首を柔らかくして,体重の移動を感じて下へ下へ引っ張られるのを感じる。ポケットから携帯とカメラと財布をそっと出して,僕は階段を転がった。 

松虫通りを松虫塚へ向かってずんずんと歩いた。傾きかけた日差しが作る影も一緒にずんずん歩いた。影と双子になった。影に近づいてみたり、離れてみたり。その内,影と影が接近すると影同士がスイッと近づくのを発見した。電柱の影にすっと忍び込んだり,ぬわっと出てきたり。からだの質感が変わるのが、おもしろい。やがて、松虫塚到着。Oさんによると、塚というのは、街歩きで外せないポイントだという。 

阪堺電軌の踏切を越え、松虫交差点の手前を南へ曲がり,熊野街道へ入る。雰囲気のある通り。入ってすぐ右手の家に何人かの人が反応している。僕は,すこし時間を気にしながら歩いていたので,見落としたポイント。みんなで歩いているといろんな発見があって楽しい。少し行くと安倍晴明神社。小島さんおすすめのものすごく狭い路地を西へ入る。ひとりずつ肝試しのように入っていく。踏切を越えて,住宅街を進む。不意に坂道があらわれた。池上さんが家の近くの田んぼの土で作った団子がたくさん入った風呂敷を広げた。祈りとともに,団子が転がりはじめた。コロコロコロコロコロコロ。 

徂親坂を下り,さくら坂を上がる。日が傾いてきた。ヘルメット,多肉植物のインスタレーション。ゴールは無いんだけど,ゴールに近づいている感じ。一緒に過ごした時間が層になって生まれる何か。短くて近いけど遠い旅の終わり。阿倍野神社東門を抜けて,阪堺電軌天神ノ森駅到着。チンチン電車に揺られて,南霞町駅で解散になった。

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