2013年1月23日水曜日

プンドポ(舞台)の再建 (2008/02/18)

2008年2月7日 
前日の夜8時半頃、ジョグジャの我が家に到着。次々と知人に電話をかけて、近況を聞き、明日からの予定を決めた。今回は3日間だけの滞在なので、なるべく効率よく回らなければならない。 

朝から、プジョクスマン舞踊団の中心メンバーで、芸術高校の校長でもあるスナルディさんの家へ出かけた。彼の家は震災で全壊になったが、今は敷地内に新しい家がほぼ出来上がり、庭先では職人さんがペンキを塗っていた。豆腐、テンペなどをいただきながら、ISI(芸術大学)の教官である奥さんのトゥティさんも加わって、2時間ほど、震災以降の舞踊団、芸術高校、ISIのことなど、あれやこれや話を聞いた。帰り際に、中庭へ案内してくれた。東側には、震災で全壊した家がまだ残っており、西側の新しい棟には、台所とマンディ部屋が出来ていた。窓枠に緑色のペンキが光っていた。「新婚夫婦みたいだね。」と言うと、トゥティさんが照れくさそうに笑った。 

自宅へ帰って、オポル・アヤム(鶏のココナッツ煮)の昼食を食べた。震災で、我が家も結構あちらこちらに大きなヒビが入ったが、すっかりきれいになおっていた。 

午後からも何人かの知り合いに会い、活動の様子を聞いた。夕方、プジョクスマンのメンバーでもあり、チャクラワラ財団のメンバーでもあるジニー・パークさんの家を訪れた。プジョクスマン支援に関しては、ジニーさんと協力しているので、まずは彼女に最近の様子を聞きたかったのだ。プンドポの再建はマンディリ銀行が行ったこと、子供達の舞踊クラスは依然としてタマン・ブダヤ(州の文化センター)で行われていることなど、経緯を詳しく聞いた。メールでもやりとりしていたが、直接会わなければ分からないことがたくさんあった。 

ジニーさんの家で、アヤム・ゴレン(鶏の唐揚げ)をごちそうになり、夫のランテップさんと共に、プジョクスマンへ出かけた。 

ジニーさんが声をかけ、プジョクスマンの現代表であるブ・ティア先生、元代表のバンビン先生、ベテランメンバーでプンドポの再建に関わったハルタントさんが集まってくれていた。6人でブ・ティア先生お手製の春巻きとケーキを食べながら、主にプンドポの再建に関しての話を聞いた。また、まだ再建されていないプリンギタン(プンドポの母屋)、舞踊団事務所、楽器・衣装の倉庫などについてもいろんな案を出し合った。 

プンドポ再建の経緯は以下の通りである。 

震災後、当初、プンドポの再建には、プジョクスマン支援の会やチャクラワラ財団の義援金を充てる予定であったが、ハルタントさんが中心となって、マンディリ銀行へも援助を求めた。マンディリ銀行は、プジョクスマンのプンドポが伝統文化を教育する重要な場であることに理解を示し、援助することを決定した。そして、マンディリ銀行がプンドポの再建を一括して請け負うことになった。デザイン、工事のすべてをマンディリ銀行が行い、終了後、プジョクスマン側に引き渡すということが条件になった。責任の所在を明らかにすることと、企業の名前がはっきりと出ることが目的だった。プジョクスマン側からは、建築に詳しいハルタントさんが事前の会議に加わった。 
前回滞在した時に出席した会議で問題になったのは、プジョクスマンの建物の所有権、使用権、契約書に関してである。元々は王宮の所有であったが、すでにプジョクスモ家に所有権は移っていることが判明した。しかし、売買は出来ないので、実質的には永久的な使用権である。元々、プジョクスモ家と舞踊団は契約書を作っていなかったので、そのことが再建の足かせにもなっていたのだが、マンディリ銀行という第三者が入ることによって、なんとか契約書をつくることができた。平日に関しては、舞踊団がプンドポを無償で使用出来ることになった。しかし、プリンギタン(母屋)に関しては、まだ話がまとまっていない。 

この日は雨が降っており、雨漏りがしていた。プンドポがまだ引き渡されていない今の段階では、クレームを付けられるとのことだった。また、まだ修繕されていないプリンギタン(母屋)は雨漏りというか、雨が降り注いでおり、水がプンドポまで流れ出していた。こちらの対策も考えなければならない。プンドポは、2月の末に引き渡されるとのことだ。現在、子供達のクラスはタマン・ブダヤ(州の文化センター)の廊下で行われているが、まもなくある子供達の舞踊の検定試験がプンドポ再建のこけら落としになる予定だ。 

プジョクスマン支援の会の義援金は、2006年末に行われた震災記念公演、2007年に行われた2公演、および子供達のクラスのための諸経費に使われている。今後は、楽器・衣装の修繕や保管場所の確保、事務所の再建などに使われる予定である。プリンギタン(母屋)に関しては、引き続きマンディリ銀行に援助を求めることになった。 

9時30分頃にプンドポを後にして、プランバナンの近くで行われているワヤンの会場へ向かった。ここで、ISIのハルヨソさんと待ち合わせていたのだ。ワヤンをしばらく見て、クラテンのハルディヨさん(バ・ルラ)の家へ向かった。35日に1回行われるムルヨララスの集まりが開かれていたからだ。前日に電話したソロのサプトノ先生が教えてくれたのだ。ガムランが演奏される中、祖先の霊と交流する力があるハルディヨさんが祈りを捧げる集いである。クラテンもまた震災で大きな被害を受けた地域だった。クラテンに住むISIのトゥグ先生とも再会した。元気な顔をして、グンデルを弾いていた。前回の滞在で会った時には、壊滅的な被害を受けた村に自力で建てたバラックの前で、憔悴しきった表情をしていたので、グンデルを弾いている先生の顔を見られて、とてもうれしかった。演奏は午前1時過ぎまで続いた。サプトノ先生、ガムラン職人のサロヨさん、ISIのミロトさん、ガジャマダ大学の考古学のティンブル先生とも再会し、ハルディヨさんのお宅でご飯をいただいた。ごちそうになってばかりである。深夜、真っ暗闇のクラテンからジョグジャの家まで、車を運転して戻らなければならなかったが、興奮していたのか疲れは感じなかった。

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