8月26日火曜日
朝起きるとたいぶ体調が良くなっていた。
イウィンさんが近所で買ってきたバナナの葉に包まれたブブル・クタン・ヒタム(黒餅米の甘いお粥)を食べる。お粥といっても水分はあまりなく粒あんみたいな感じ。とてもおいしい。
我が家に泊まっているみんなも起き出してきた。そこそこ元気な顔をしている。スタジオにマットレスを並べて、修学旅行みたい。雑魚寝だがそれなりに快適にしてくれているようだ。スタジオの一角にはガムランの楽器があり、舞踊の練習も出来るようになっている。スタジオに付随する南側の部屋には、ISIジョグジャに留学中の田渕ひかりさんが暮らしている。北側の部屋には、体調の悪い林加奈ちゃんとそれを見まもる西さん。後の4人(キュウちゃん、麻未ちゃん、バミオ、尾崎クン)が大部屋に雑魚寝。昨夜、マリオボロ通りへ夜遊び行った尾崎クンはまだ寝ている。どうやら無事に帰ってきたようだ。
中庭には、大きなマンゴーの木がある。たくさん実が成る年には、何百ものマンゴーの重みで枝がたわみ、地面に届きそうになる。残念ながら今年は不作のようだ。木の下に停めてあるキジャンがパンクしていたので、ジャッキを出してスペアタイヤに交換した。
イウィンさんとブナはバイクに乗って、近くのパサール・スントゥル(市場)へ食材の買い物へ出かけている。昼ご飯は、ソト・アヤム(鶏の酸っぱいスープ)。僕は、中庭に面した寝室の前のテラスで入念なストレッチをする。すこしずつ身体に力がみなぎってきた。なんとか公演に間に合いそうだ。
ジョグジャに着いてから、真さんと野村さんから別々にコメントをもらったが、内容は同じ。ジャカルタ公演の鬼は、なんだか遠慮しているようで物足りなかった。予定調和でなく、もっと舞台上で生き生きと動いて欲しい、と。
16時前にタマン・ブダヤへ入る。
楽屋が賑やかだ。留学組の3人、田渕さん、岩本くん、西田さんに加えて、ガジャマダ大学に語学留学中の山崎弓子さんも手伝いに来てくれた。日本にいる頃、彼女にインドネシア語のレッスンをしていたのだ。
みんな、旅の疲れがたまっていたので、アメリカの大学でヨガも習っていた岡戸さんが「疲れの取れるヨガ」教室を開いてくれた。それからメイク、そしてお弁当。弁当を食べながらウティさんと話をした。
ウティさんと始めて話したのは、1996年。横浜ボートシアターとISIジョグジャが共同で「耳の王子 カルノ・タンディン」という音楽・舞踊劇のジョグジャ公演をした時のことだ。ウティさんはISIの教官で、王女クンティを演じた。僕は留学して2年目に入った頃で、現地通訳兼お手伝いとして公演に参加した。この公演では、僕がジョグジャへ留学するきっかけとなった舞踊の名手ベン・スハルトさんがアルジュノ役をしていた。インドネシアへ送られた日本兵の物語とマハバラタのカルノとアルジュノの戦いが劇中劇で進行するシナリオだった。公演は、ジョグジャのプンドポ・ノトプラジャンで行われた。開演前、公演が無事に行われるようにと、ベンさんが祈りの舞いを踊った。雨期にもかかわらずその日は夜まで雨が降らなかった。公演の直後、ものすごい勢いで雨が降り出した。そのベンさんは、97年の12月に亡くなった。
ウティさんが言った。
「サクマ、ジャカルタ公演はギラで良かったよ。」
ギラとは、クレージーのことである。ジャワの芸能はどれもクレージーである。ワヤン(影絵芝居)は8時間も続くし、ブドヨという女性9人の舞踊は3時間以上踊り続けられる。伝統音楽や舞踊の先生もみんなクレージーである。芸能の神に取り憑かれたオラン・ギラ(クレージーな人)ばかりだ。中途半端は許さない人たちの集まりなのだ。
そうか、もっとギラになればいいんだと得心した。
ウティさんは、ジャワ王宮の宝物であるブドヨ(女性9人の舞踊)のえげつないパロディも作るジョグジャでもとびきりのオラン・ギラの舞踊家なのだ。聞けば、日本を代表するクレージーな舞踏集団である大駱駝館のニューヨーク公演にも出演したという。
19時前になると、会場であるタマン・ブダヤ・ソシッテットにどんどんお客さんが集まってきた。小ホールのなので、キャパは350席ほど。開演時間には、客席の通路までぎっしりと詰まった。
僕自身にとって、この夜は、ジャカルタ公演とはひと味違う力の入った公演になった。たぶん、みんなにとっても。特に4場は、今までに無かったような混沌が訪れた。「こうしなければならない。」という枷が外れ、「もうどうなっても知らないよ。好きなようにするからね。」という感じが立ち現れ、一瞬、舞台に自由な空気が流れた。
公演終了後、スティアさんに会った。プジョクスマン舞踊団代表の60代の女性舞踊家だ。留学の最初から現在まで、一番お世話になっている先生である。7月には、大阪の我が家に5日間滞在し、京都で行った舞踊教室の生徒の発表会にも来て、講演をしてくれた。
しばらく黙っていた。
「少し長かったね。」
何とも言えない表情をしていた。
クレージーな伝統舞踊の先生である。こういう人たちがいて、伝統舞踊は守られてきたのだ。
今回のツアーメンバーの中には、ジョグジャに留学したり、授業に来たり、ガムランを習いに来たりしたことのあるメンバーがたくさんいる。みんながそれぞれのつながりを持っている。ロビーのあちらこちらに、いつまでも出演者を囲む輪が出来ていた。
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