2013年1月24日木曜日

自分の踊り (2008/09/19)


8月27日水曜日 

朝から小学生たちとワークショップ。ハードスケジュールである。タマゴを1日に4個食べ、日本では超多忙なスケジュールをこなしている中川真さんが予定を組むとこうなってしまうのだ。 

10時に、5月のガムラン・プロジェクトツアーでも訪れたニティプラヤン村に到着。。今回のチラシとブックレットをデザインしてくれたオン・ハリ・ワフユさんのアートスタジオがあるのだ。近くにあるアラム小学校の子供たちがたくさんやって来ている。アラムとは自然という意味で、自然を通じた教育を行っている私学の小学校とのこと。次から次へと子供が増えてくる。 

桃太郎の中に出てくる歌をみんなで歌ったが、反応は今ひとつ。次に、ロフィットさんや野村さんの音楽で鬼のダンスを踊ってみた。途中からみくりちゃんも入って、やっと盛り上がってきた。ここまでで休憩。西さん、佐々木宏実さん、ロフィットさんの司会で、桃太郎のことや日本語の説明をする。子供たちはノート片手にメモを取っている。まずまず満足してくれたようだ。これで授業終了かと思いきや、真さんがタマゴ大王のかぶり物をして、またやり出した。本当にタフな大王である。ともかくワークショップ終了。 

昼ご飯は、アートギャラリーも併設するクダイ・クブンでナシ・ゴレン。たまたま、ジョグジャのコンテンポラリーアートの拠点であるチュムティ・アート・ハウスを主宰するニンディティヨさんとメラさんの夫婦もランチ・ミーティングをしていた。桃太郎を見逃したと残念そうに言っていたので、夜のISIでのコンサートに来るようにすすめた。 

プジョクスマンへ、夜の公演のためにジャワ舞踊の衣装を借りに行く。スティヤさんが待っていてくれた。 

プジョクスマンには、1900年に建てられたジャワの伝統的木造建築物であるプンドポがある。2006年の地震で大きなダメージを受けたが、今年の3月に修復が完了し、舞踊の練習が再開している。ジャワでも、伝統的な建築のなかで、伝統舞踊の練習が行われている場所は数少ない。建物は、ソコ・グルと呼ばれる4本の大きな柱とそれを結ぶ梁がつくる直方体で支えられている。踊り手は、その直方体の中心で踊るのだ。 

ジャワ舞踊では、垂直や平行が重要である。地面に対して前傾せず垂直に背骨をのばし、柱が作る東西のラインに肩や腰を平行させて立つ。そのために、柱が重要な目印になっている。そうすると踊り手は、自分の身体の延長線が感じられるようになってくる。 

柱はジョグロといわれる山を象った屋根を支えている。ジョグジャの王宮の30キロ北には、ジョグロと同じ形をした3000メートル近い活火山であるムラピ山がそびえている。プンドポで踊ると、大きな山の懐に抱かれて世界とつながっていると感じることが出来るのだ。 

ジョグジャの舞踊はとても様式的で、時にぎこちないと評されることもある。垂直や平行を保つために、からだに無理を強いることがあるからだ。そこには、こんな理由があるのだと僕は考えている。 


スティヤさんに、昨晩の感想を、再びは聞かなかった。高度に様式化されたジャワ舞踊の世界と、なんでもありの混沌とした桃太郎の世界とが、簡単に出会うことは出来ないだろうから。

夜の演目、ゴレッ・アユンアユンとクロノ・トペン・アルスの衣装を借りた。こちらは、衣装も様式美の世界である。 

ジョグジャの町中から6キロほど南にあるISIのキャンパスへ向かう。田んぼの中に、突然キャンパスがあらわれる。ここも震災で大きな被害を受けたが、すでに新しい立派な校舎が建っている。中庭にあるプンドポが今晩のコンサートの会場である。ISIの授業や公演で何度も踊ったことがあるので、僕にとっては懐かしい場所だ。しかし、ここのプンドポはコンクリート製で、ソコ・グルの間隔もおかしい。とてももったいなく、残念なことだと思う。 

プンドポの横に、バッソ(肉団子スープ)の屋台が止まっている。留学していた時と同じおじさんである。むこうも僕のことを覚えていた。懐かしいので注文する。5000ルピア(約60円)なり。 

マルガサリの演目は 
古典曲 スレブラとエロエロ・カリブブル 
古典舞踊 ゴレッ アユンアユンとクロノ・トペン・アルス 

僕が踊るのは、クロノ・トペン・アルス。仮面(トペン)を付ける舞踊で、なかなかの難曲である。アルスとは、男性の優形のこと。これに対し、荒型はガガという。クロノ・トペン・ガガを踊るジョグジャの人は多いが、なぜかアルスの方を踊る人は多くない。ジャワ人の理想的な究極の人間像は、知的で優美でクールなアルスなのに、である。 

本番は、ちょっと力んだりして、自分では不満足な部分もあったが、無事終了。着替えて出てくると、客席には、ISIの先生がたくさん座っていた。なかでも、この舞踊を踊ることもあるバンバン・プジャスウォロさんとスパドモさんがいたので、公演後だったが思わずドキリとした。別々に、少し話をうかがった。ふたりともジョグジャきっての舞踊家であり、特にアルス(男性舞踊の優形)が専門である。 

舞踊に関する特別のコメントは無かった。 

普通の出来事のように扱ってくれたのだ。ジャワの人はおおらかに見えるけれど、こと舞踊に関しては、舞踊のテクニック、衣装の着こなし、メイクの仕方、心のありようなどにとても厳しく、そして細かいダメ出しをする。先生たちと雑談をしながら、僕はさまざまことを思い出した。ふたりの先生は、「サクマ、外国人がなぜジャワ舞踊を踊るのかとか、その意味は何かとか、いろいろ考えすぎず、自分の踊りだと思ってのびのび踊りなさい。」と言ってくれているような気がした。 

舞台では、僕のガガ(荒型)の先生であるサンティヨさんが主宰するイラマ・チトラ舞踊団の子供たちが、ジャワ人の解釈による「桃太郎」を上演し始めていた。子供たちがのびのびと踊っていた。 

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