2013年1月24日木曜日

動かないダンス! (2008/11/29)




神奈川県民ホールの吹き抜けの展覧会場にあるバルコニーでコンサートの出番を待っていた。階下の中央には、ガムラン楽器が正方形に置かれていた。ガムランの前では、「愛の賛歌」の作曲者である三輪眞弘さんが、コントートの解説をしていた。小金沢健人さんの映像作品とコラボレーションをすることになっていたのだ。 

三輪さんが、自分は4桁の2進法を用いて作曲したことや、小金沢さんの映像作品が実は単に2色の色鉛筆の線が延々と延びていくだけなんだ、ということを話していると、 

ブォ~ ブォ~ 

と、遠くから汽笛が聞こえてきた。会場の聴衆には聞こえていないだろうか。港に停泊している豪華客船ASKA 2の汽笛だろう。昼間、赤レンガ倉庫で行われている横浜トリエンナーレを見に行った時に、この船をバックに記念撮影をした。赤レンガ倉庫の屋根の上にはトンビがとまってピーヒョロと鳴き。倉庫の中では、土方巽の肉体が反乱を起こしていた。 

「愛の賛歌」は、儀式のような作品である。純粋を目指すコンサートホールにおいてより、日常が忍び込むこんな会場の方がふさわしいかもしれないと思った。とにかく、僕の気持ちは少しほぐれた。 

バルコニーから階段を下り、階段が切り返す踊り場でスタンバイした。照明が身体を浮立たせる。グンデルが静かに響きがはじめた。音が身体に沈殿していく。会場を俯瞰しながら、じっと立った。動かずにじっと立った。 

6,7分経つと、「2色の色鉛筆の線」が360度の壁を回りはじめた。思わず一緒に回りそうになるのをこらえた。回転が身体に染み込んでいく。視線を中空にとどめ、じっと立ち続けた。ルバブが秘やかに誘うように弦を擦りはじめた。 

身体を真っ直ぐに留めていたピンを抜くと、身体がゆっくりと揺れはじめた。揺れが収まると、手がゆっくりと上がりはじめた。右手と左手が出会う正中線で、手はシンメトリーに動いた。やがて、サロンが高らかに鳴りはじめ、歌い手が愛の歌を歌いはじめた。僕は、会場に満ちた空気は揺らし、時間と空間をずらしながらダンスした。 

グンデルの最後の音が鳴り、照明をオペレートしていた小金沢さんと気を送り合いながら、僕はゆっくりと動きを止めた。演奏時間は50分に迫っていた。「愛の賛歌」の最長演奏時間である。ダンスと照明は、ほとんど即興だった。 

動かずにじっと立つことを、10分近く続けた。すごく難しかったが、いいチャレンジになった。長く沈黙を続けると、どんなに微妙な動きをしても、そこには差が生まれるので、すごく大きな表現になるのだ。 

公演終了後、ホールから歩いてすぐの中華街東門横にある北京飯店で打ち上げになった。みんながビールで乾杯する横で、僕はウーロン茶で乾杯をした。楽器を積んだハイエースでスペース天へ戻らなければならなかったのだ。 

雨の東名高速を走り、東名阪、新名神、名神、京都縦貫道経て、スペース天にたどり着いたのは朝の6時過ぎだった。白みはじめた東の空に三日月が上がっていた。楽器を運んでいると、

「朝早いのう!」 

と、声が聞こえた。振り向くと、背丈ほどの大きな棒を杖にした大柄な男だった。とても薄着のようだった。返事をする間もなく、男は裏山へ続く坂道を上がっていった。 

あっ!そうか! 

10年前のスペース天開所以来、天に泊まった人達から、夜更けに足跡や声が聞こえるという話をよく聞いた。僕自身も、午前3時頃、スペース天の周囲を、何者かが何かをゆっくりと引きずって歩く音を聞いたことがある。この男の足音だったのだろう。しかし、一体何者なのだろうか? 

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