2013年1月18日金曜日

打ち上げはバイキング! (2007/11/19)

日曜日は、神戸のCAP HOUSEで公演+講演だった。 
ジャワ舞踊をしている川原和世さんがホステスになって、ゲストとして迎えられた。ジャワ舞踊や僕の活動について、いろいろとしゃべったり、DVDを見て、最後に踊った。すこし、しゃべりすぎたかもしれない。IピクニックのDVDも上映することが出来た。 

終了後、50代くらいの女性が近づいてこられた。 
2003年にCAP HOUSEで、あなたの舞踊を見てとても気に入って、ずっと見たいと思っていたんですけど、情報が分からなくて・・・。 
ありがたいことです。メールアドレスをお聞きしたので、これからはメルマガを送ることが出来ます。 

その他の見に来て下さった方々、ありがとうございました。 

さて、旅日記の続きを書こう。もう少しで旅が終わる。 

10月7日日曜日の続きである。 
コンサートが終わって、真っ暗な教会から出ると、日曜日の午後の日差しが眩しかった。あちらこちら探したが、T君の姿は無かった。帰ってしまったのだろうか。でも、会場までやって来てくれたのだ。いつか再会できるだろう。 

おなじみのレストランSaltsstadlの店先で昼食。Iピクニックメンバー、藪さん、はる香さん、ディレクターのジョーと息子のJ君、ベルリンの音楽ディレクターのマティアスとその奥さんで美術史が専門のマリア、12人でアルミテーブルを囲んだ。隣のテーブルでは、スタジオFunk und kusteのメンバーが乾杯している。僕は、ケールのクリームパスタとビールを注文した。みんな上着を脱いで、Tシャツになるくらいの陽気だった。 

ジョーが、今日は最高だった。また、是非来て欲しい、と言ってくれた。そして、バイキングへ行くか?と聞いてきた。 
バイキング?まだ食べるの?一瞬分からなかった。 
Bikingだ、そうか自転車だ。サイクリングへ行くか?と聞いてきたのだ。 

とても疲れていたし、なんだかよく分からなっかたが、天気も良くて、コンサートが終わって気持ちがいいので、みんなで行くことにした。自転車に乗れないアナンさんとはる香さんは留守番になった。代わりにオランダ人のオロフとヤンが加わった。近くのガソリンスタンドで本格的なサイクリング車を借りて、出発。総勢12人のサイクリング。 

Minoriten kirche前の石畳の道を西へ向かって走り出した。ゴトゴトしていて気持ちがいい。やがて、ドナウ川に平行した道に出る。左にドナウ川、右に線路、その向こうは山。川をさかのぼっていく。ジョーがものすごいスピードで引っ張っていく。一面にブドウ畑があらわれた。右手も左手もブドウ畑。ジョーが止まって、石垣に自転車を立てかけ、畑にズカズカ入り込んだ。両手にいっぱいブドウをもいで戻ってきた。食え、という感じでみんなに差し出す。当然、うまい。疲れに甘みがうれしい。 






ジョーが再び走り出す。どこへ行くのかは、彼しか知らない。1両だけの列車が追い抜いていく。やがて、右手に切り立って崖が見えてきた。はるか上の方に、裸で登っている人がいる。まだまだ走っていく。隣町へ入った。クレムスのシュタインからワインで有名なドゥルンシュタインへ入ったのだ。石畳に沿ったワインバーや土産物屋の間を抜けていく。たくさんの観光客、数人の日本人の顔も見える。町の中の石畳から再び、ドナウ川沿いの道へ戻る。反対からやってくる自転車とすれ違う。低いエンジン音立てたオープンカーが後ろから僕らを追い抜いていく。 

真さんはマイペースで行くと言って、最後尾をゆっくりで走っている。血圧の高いスボウォさんは心臓がヤバイと言って、不安そうな顔をしながらもなんとかついて行っている。ジョーはどんどん走って行く。マティアスなんか結構な年だと思うんだけど、嬉々として先頭争いをしている。みんな1枚、また1枚と上着を脱いで、野村クンのリュックに放り込んでいく。 

ドゥルンシュタインの町のはずれのホイリゲで、ジョーがようやく止まった。緑の芝生が広がり、リンゴが木にたわわに実っている庭に木のテーブルが並べられている。 
ハム、チーズ、キュウリや唐辛子のピクルス、西洋わさび、焼きたてのパンなどがテーブルに並ぶ。そして、嵐の音が聞こえるStrum、白ワイン、野生のベリーのジュースが運ばれてきた。 
乾杯! 







みんな大いに食べて飲んだ。幸せに気分に浸って、大いにしゃべって盛り上がった。みんなハイになっていた。 
ドイツ人のマティアスが店員を呼び、なぜか英語で、 
They are interested in dessert ! 
と言い、デザートを注文した。言い回しがなんだかおかしくて、みんなで大爆笑した。どんなデザートかと聞くと、 
Drunken farmer 
とドイツ語で書いてある。でもどんなのかは分からない、とマティアスが言った。 
スポンジケーキにワインがかかったデザートが出てきた。神戸の震災の時、ヨークにいて心配のあまりやけくそになってビールを飲んで以来、アルコールを口にしていなかった野村クンがこのケーキを食べた。 

爽快な、そして完璧な打ち上げだった。 

店員がやってきて、何をどれだけ食べたんだ、と問答しながら自己申告に基づいて勘定をする。全部で100ユーロほどのようだったが、マティアスがおごってくれた。ありがとう、ボス。 

気分最高だが、ここから自転車で帰らなければならないのだ。クレムスまで約20キロ。ホイリゲを後にすると、すぐ船着き場に着いた。心臓が苦しいスボウォさんは大喜びで自転車で船に乗り込み、タバコに火を付けた。船がゆっくり動き出した。日がだいぶ傾いてきて、川面が光り輝いている。船がワイヤーに繋がったままゆっくり進んでいく。ジョーが、この船にはエンジンがないんだ、と言っている。 

そうか!渡し船なのだ。 





船は下流へは進まず、ワイヤーに引かれて対岸へ進んだ。ドナウ川の対岸を走ってクレムスに戻るのだ。スボウォさんも気を取り直し、ペダルをこいだ。対岸はひっそりとした農村といった感じで、古い木造の家の煙突から煙が上り始めた。川沿いの細い道をゆっくりと走った。帰りは川の流れに沿って走るので楽である。しかし、急速に日が暮れ始めた。やがて、真っ暗になった。12個の自転車のライトがチラチラと闇に揺れた。小学校や中学校の時に遊びに行って遅くなり、不安になりながらも興奮してみんなで帰った時のことを思い出した。 

19時30分頃、クレムスのシェルのスタンドに着いた。とびっきりの打ち上げをしてくれたジョーに感謝である。今から、他の出演者も誘ったパーティをするという。せっかくなので、一旦ホテルへ戻って、そちらへも顔を出すことにした。こちらは普通の落ち着いた店で、である。 

少し落ち着いてIピクニックの活動のユニークさや価値などを話し合えた。オランダの芸術フェスティバルのディレクターであるオロフはとても興味を持ってくれ、次のような感想を聞かせてくれた。 

今回、Iピクニックはクレムスの小学生から大人までとワークショップをして、作品を作った。彼らは同じ町に住みながらも、今までは出会うことがなかっただろうが、このプロジェクトのおかげで音楽を通じて出会い、コミュニケーションすることが出来た。例えば、イスラエルとアラブの国、あるいはアフリカの内戦が続くような国の子供同志が音楽通じて、今回のような作品を作れば、すごく面白いんじゃないか。 

今後、ヨーロッパでも積極的に活動することを約束して、まだ盛り上がるバーを後にした。野村クン、やぶちゃんの3人でホテルへ戻り、部屋でゆっくりとコンサートの余韻に浸った。僕はどうやら先に寝たらしい。 

6時前に目覚めた。野村クンとやぶちゃんがウィーンへ発つのだ。野村クンとこれからの新たな出発を約束した。部屋から出て階段を下りると、踊り場の窓の向こうに三日月が見えた。明るくなる前のほんのわずかにゆるんだ闇に、一際鮮やかに細いツメの先のような三日月が上がっていた。 


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