2013年2月6日水曜日

路地裏の庭園 (2009/03/12)

遅ればせながら、「アースダイバー 講談社 中沢新一」を読んでいる。 

表紙コピー 
縄文地図を持って東京を散策すると、見慣れたはずのこの都市の相貌が一変していくように感じられるから不思議だった。 

縄文時代、海は今より内陸部に入り込んでいた。縄文人は、海に突き出した岬に、聖なるものを感じて、墓地や聖域をつくったという。中沢新一は、洪積層と沖積層とが書き込まれた地図と現在の東京の地図を持って、現在は都市の中に紛れ込んだ岬を巡って、東京を散策した。 

僕は、岬とも大いに関係のある坂が気になり、坂のピクニックへ出かける。おおいに接点がありそうだ。 

と、読み進んでいると、<路地裏の庭園>という章にさしかかった。 

マルガサリは、2007年3月大阪のザ・フェニックスホールで、「ガムラン・コモンズ」と題するコンサートをした。そして、2008年5月豊能郡の山で、「森のコモンズ」と題するイベントを行った。コモンズとは、共有地のことである。この本にも「共有」という言葉が出てきた。 

・・・ ・・・ 

アースダイバー 134ページ 
<路地裏の庭園> 
 本郷の金魚坂から菊坂あたりまで、ぶらぶらと坂道を下ってきたぼくたちは、道の両脇に奥に向かって入り込んでいく、何本もの路地にひきつけられてしまう。 

(中略) 

路地にはたくさんの植物が植えられている、路地には根を下ろすことができないので、植物はみんな鉢植えだ。その鉢がまた思い思いで統一感がない。ちゃんとした素焼きの鉢に南天を植えてあるかと思えば、ペットボトルを真ん中で切って、そこにパンジーがかわいらしく植え込まれている。 

(後略) 

<来るべき路地裏> 
 路地裏につくられたささやかな庭には、未来に向かって開かれている政治思想がひそんでいる。路地庭は「自由と私有」という現代の世界がかかえている解決不能な問題に、ひとつのユニークな解答をあたえる力を、ひそかに隠し持っている。 

(中略) 

坪庭や個人の家の立派な庭では、この自由な空間が少数の人によって私有されてしまっている。掘りで囲われた場所に、贅をこらして造られた庭を楽しむことができるのは、限られた人にすぎない。 

(中略) 

 自由はお金によって手に入れるものである。これがぼくたちの世界ではいまや常識となってしまっている。ところが、路地庭ではその常識がくつがえされてしまう。路地は、庭がみんな共有になっている道路につくられている。向かいの家や隣近所とだけでなく、その道路はそこを歩くすべての人に向かって開かれ、共有されているのである。みんなに向かって平等に開かれている共有の空間に、路地庭はつくられている。 

(後略) 

・・・ ・・・ 

大阪ピクニック坂編では、路地が重要な目的地だ。古い路地では、建物や道が入り組み、微妙なアップダウンをつくっている。五感を総動員して、重力を感知する身体をつかって、アスファルトやコンクリートや石畳の下に息づく大地を感じる試み。 

第1日目のペットボトルワークでは、身体をリラックスさせ、わずかな傾きや波動を感じとることを目指した。わずかな波をキャッチしたら、それに波長を合わせ、最小限の力で大きなうねりに変えていく。大阪ピクニックとは、そういう身体を持って、街をピクニックする試みなのだ。 

第2日目は、3月14日土曜日です。13時に谷町4丁目集合です。参加希望の方はお知らせ下さい。 

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